2020年5月29日、東京都心の上空をブルーインパルスが飛んだ。新型コロナに対応する医療従事者への敬意と感謝をテーマにした、この施策はいかにして実現したのか?

 当初、同施策に懐疑的だった吉田ゆかり一佐が「実施に前向きになった決め手」を、ノンフィクション作家の武田頼政氏の新刊『桜華 防衛大学校女子卒業生の戦い』より一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/#1#2を読む)

吉田ゆかり一佐 ©文藝春秋

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「すべての人がブルーインパルスに賛成しているわけじゃない」

 自らの危険をさておき感染症と戦う医療従事者に国としてエールを送り、翻って疾病予防へと国民の気持ちを一つにする役目は、空を武力で制する戦闘機には似つかわしくない。こと日本においてその任に能うのは、武器を持たず、飛ぶことに特化したブルーインパルスでしかあり得なかった。

 丸茂が「実施する」と決心し、大臣官房に返答したのは2日後の5月22日金曜日。広報室長の吉田にもその旨を伝え、週明けには計画を報告するので準備するようにと指示した。

 実はその前からすでに広報室でも検討が進んでいた。欧米でのフライトが報じられた4月下旬頃から、ブルーインパルスによる同様の飛行の要望が外部から相次いでいたからだ。

 だがそうした待ちわびる声をよそに、吉田は懐疑的だった。

「ブルーインパルスを飛ばせられるものなら飛ばせたいとは思っていましたが、欧米のように軍のステータスが高く理解があるのならともかく、この日本の、しかも大都市上空を飛ぶことなど受け入れてもらえるだろうかと。たぶん批判も多いんだろうなと不安でした」

 吉田が実施に前向きになった決め手は、広報室員で元ブルーインパルスの園田健二が発した真剣な言葉だった。吉田はこう言う。

「うちの園田はブルーのパイロットとして17年に熊本の復興を祈念した『復興飛翔祭』というイベントで被災地上空を飛んでいますが、そのときの地元の方々の喜ぶ様子をよく憶えていたんです。すべての人がブルーインパルスに賛成しているわけじゃないけど、医療関係者をはじめ、一人でも多くの国民の皆さんが笑顔でいてもらえるようにぜひブルーを飛ばせたいと、私に訴えてきたんです」

 園田は長らくF−4ファントム戦闘機のパイロットだった。実戦部隊に配属されるすべての戦闘機パイロットには、目まぐるしい空中戦の最中でもお互いに無線で呼び交わしやすいよう、「TAC(タック=戦術)ネーム」と呼ぶ固有のあだ名が飛行隊の先輩から授けられる。園田のそれは「エデン」。彼の名字を旧約聖書の理想郷「エデンの園」になぞらえたものだ。