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経済破綻につながった、3つの政策

 まず1つ目は、税金の引き下げです。観光業関連の税金は、3分の1に下げられました。半分にしたものもあります。2つ目が、有機栽培の徹底。農業を全て無農薬でやること。3つ目が、「ワンカントリー・ワンロー」(一国一法)という政策です。多数派のシンハラ民族のナショナリズムに、他の民族も合わせてもらいます、というものです。結局、1つ目と2つ目は失敗しました。その失敗を誤魔化すために、3つ目を使いました。つまり、少数民族をいじめることによって、国民の不満のガス抜きをしたのです。

 では、2つの政策はなぜ失敗したか。そもそもスリランカの経済は、貿易赤字と財政赤字の双子の赤字と言われ、それが慢性化していました。スリランカは農業国家であり、第1次産業や観光業が主要な産業で、外貨が稼げるものはたかがしれている。外国から支援も受け、なんとか誤魔化してきたのが実情です。こんな状況で税金をカットしてもうまくいくはずがない。

 また、農業の全面無農薬化を進めたら、米の生産量が半減し、外貨がないのに米を輸入しなければいけない状況になってしまいました。さらに、輸出産業の大きな柱となっていた紅茶の生産量も半減しました。そこにコロナ禍となり、観光業は大打撃を受けました。

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ラージャパクシャ一族と中国の蜜月

 このような経済状況の一方で、一族は徐々に中国との関係性を強めていました。それには、先ほどの内戦が関係しています。政府軍が勝利したものの、戦後、世界の人権団体から軍の戦争犯罪が指摘されるようになります。少数民族のタミル人が無差別に殺されたり、レイプされたりしていたのです。そのためスリランカは国際社会から孤立していきました。そこに中国が入りこむ隙間があったのですね。

 実は86~08年までは、スリランカへの支援額は日本がトップだったのです。それが、09年からは中国に代わります。借り入れ額も一気に増加していきました。普通、お金を借りる時には、返済も計画に入れて考えますが、中国とラージャパクシャ一族の間ではそのようなことは全くなく、好きなだけ借りていたのです。それを使い、一族は選挙基盤の土地に、港や空港、スタジアムなど色々なものを作るわけです。そうして建設されたハンバントタ港は、世界で一番暇な港と呼ばれています。