「王道から外れている人にシンパシーを感じるんです」
藤井光さんは、同志社大学文学部で英米文学の准教授を務めながら、積極的に英語圏の若手作家を紹介している注目の翻訳者。サルバドール・プラセンシア『紙の民』、テア・オブレヒト『タイガーズ・ワイフ』など、ポップで幻想的な作品を多く邦訳し、現代英米文学の裾野を広げ続けている。
「研究者としても王道を外れている実感があります(笑)。専攻するなら古典文学という空気がある学会内で、僕の専門は現代の作家。もちろん古典の研究も重要なのですが、今現在も本気で小説を書いている人達がいる以上、僕のようにそれを研究する人間がいてもいいと思うんです」
3月には、初のエッセイ集となる『ターミナルから荒れ地へ』を出版した。マジメなアメリカ文学評論集かと思いきや、そこは藤井さん。自身をモデルにした“自称カリスマ翻訳教師”というキャラクターを登場させたり、小説の登場人物を履歴書形式で紹介してみたりと、自身が訳してきた作品と似たような、遊び心満載の1冊となった。
「ずっと文字ばかりが続くよりは、読み易いかと思いまして(笑)。常々、小説とのつき合い方、読み方はひとつじゃないと思っています。たとえば僕が大学で受け持っている授業では、読んだ小説について、単に感想を書く以外の方法で表現、紹介してもらうということをやっている。すると、映像作品を作ってくる学生もいれば、小説の続きを書いてくる学生もいて面白い。格式張らずに小説と接してくれればと思いますね」
とはいえ、きちんとアメリカ文学の“現在”を捉えているところが、本作が良書たる所以(ゆえん)。タイトルにも掲げられた「ターミナル」「荒れ地」というキーワードで、現代米文学を読み解く手さばきはお見事だ。
「一昔前なら、ハイウェイを舞台にしたロードノベルこそがいかにもアメリカ的な小説でした。しかし、現在のグローバル化したアメリカでは『ターミナル』という言葉の方が象徴的です。その方向から書き進めるうちに、国を越えての移動が活発になる中で、世界中に『荒れ地』と言うほかない荒廃した場所が増えてきているのでは、と考察しました。今の作家達は、アメリカという国を直接的に描くことはほとんどなくて、より大きな世界的な目線で物事を見ています。だから、日本に住んでいる我々にとっても身近に感じられる小説ばかりなんですね」
様々な仕掛けが施された初エッセイ集。米文学の現在や翻訳にまつわる文章の他、「国境なき物語団 日米編」と題された章では松田青子とプラセンシア、藤野可織とセス・フリードといった具合に、日米の人気作家の代表作を比較し論じる。異なる国で暮らす作家同士が、同じような問題意識を抱えている点が興味深い。