濱谷 そうなんです。バラエティに所属したまま、2012年に『好好! キョンシーガール~東京電視台戦記~』というドラマを、勝手に脚本・監督、プロデュースしました。
──それはなかなかの荒業ですね。バラエティの人たちに怒られたのでは?
濱谷 当時はゴールデンタイム番組の演出もやっていたんですが、先輩たちが優しくて。「そんなにドラマをやりたいなら、バラエティの仕事は一旦減らしていいよ」と言ってくれたんです。
ちょうどその頃、深夜ドラマ枠が増え始めたのもラッキーでした。それで、30代半ばにようやく異動が叶ったんです。
松本 僕は営業にいた時、制作局の同期に「おまえ、そろそろ現場挑戦してみたら」と言われて。その時に嫉妬というか、「自分も何かを作ってみたい」という気持ちが芽生えました。
そこで、自分が作れるものは何だろう……と考えたときに、自分なりの信念や、今までの人生で培ってきたものを伝えられるツールが「ドラマ」だなと。中でもプロデューサーの仕事は、人それぞれの個性や歴史を伝える役割だなと思い、これならできるかもと異動希望を出しました。
テレ東ドラマ室は全員が「プロデューサー」
祖父江 私も入社以来バラエティにいましたが、やっぱりドラマがやりたくて。異動希望をずっと出していたら、2018年に《ドラマParavi(パラビ)》というのができまして。
──Paraviは動画配信サービスですね。
祖父江 はい。《ドラマParavi》は、Paraviでの先行配信を前提としたドラマ枠です。そこで「女性視聴者をターゲットにしたドラマ企画」の募集があったので、ここぞとばかりに多くの企画を出しました。私の初プロデュース作となったのは、『来世ではちゃんとします』(2020)です。
──テレビ東京のドラマ室では、皆さんいきなり「プロデューサー」になるそうですね。他局のようなピラミッド形式ではないとか。
祖父江 ええ。いわゆる「サード演出、セカンド演出、チーフ演出を経て、晴れて監督もしくはプロデューサーになる」という流れはないですね。そもそも、局員監督を育てるという土壌がありません。