警戒すべきゲノム編集食品のもう一つのリスク
――確かに情報の非対称性が大きい分野です。
堤 またゲノム編集のもう一つの問題は、そこに特許がついてくることです。たとえば〈クリスパーキャス9〉は研究には無料で使えますが、商業用には巨額のライセンス料がかかります。種子・農薬大手のコルテバと医薬・農薬大手のバイエルの2社だけでも、ゲノム編集作物の特許出願数が1500件を超えていることが、すでに欧州で問題になっています。
ゲノム編集で破壊された遺伝子の特許が一度認められると、自然界で生まれた同じ破壊遺伝子も特許の対象となるため、該当する自然の種子やたまたま同じ性質をもった作物まで、カバーされてしまう可能性が高い。このリスクを警戒すべきでしょう。
本書に詳しく書きましたが、遺伝子工学を駆使したフードテックについてくる様々な特許、小規模農家を次々とつぶすデジタル管理とテクノロジーの問題は、川の上流を「誰が握るか」なのです。単に新しい技術だけに目を奪われてこの部分を見逃せば、文字通り一握りの巨大企業による食と農の支配が完成するでしょう。
特に、今のテクノロジーは「何を食べるか」という食の主権だけでなく、私たち人間にとって「食」が持つ意味や、他の生き物・大地との関係までも根底から変えてしまうほど進化しています。そういう意味で、私たちは今まさに、〈食の文明史的危機〉を迎えているといっても過言ではありません。
――在来種まで外資による特許で支配されてしまったら本当にディストピアです。フードテックが様々な問題を抱えていることは確かですが、その一方で、気候変動問題への迅速な対応には、牛を減らせる人工肉のようなテクノロジーも必要ではないでしょうか?
堤 ええ、それは当然の疑問でしょう。私も以前はそういう考え方でした。いま、牛のゲップによるメタンガスが温暖化の主要因とする説が有力ですから、人工肉は救世主と謳われ、私が取材した方の中にも、畜産そのものを廃止すべきだという声が少なくありませんでした。
でも本当にそうでしょうか?
この問題を考えるにあたって、まずは歴史を見なければなりません。
牛はむしろ環境再生の切り札になりうる
大規模な環境破壊を引き起こした「工業型畜産」が登場する前まで時計の針を巻き戻し、牛という生き物を、大きな生態系のなかで捉え直すのです。
たとえば、私が取材した米バージニア州の〈ポリフェイスファーム〉は、牛と土壌の共生が持つ驚異的な力を確かめに、世界中から視察が相次ぐ牧場です。ここの牛達は、〈輪換放牧〉といって、区画から区画へと草を集中的に食べながら移動させられるのですが、これを見た時、本当に驚きました。
土の上に落ちた牛の排泄物が栄養価の高い肥料となり、たくさんの蹄にふまれて草の種とともに土中に押し込まれ、菌根菌に栄養を与える。菌根菌は、植物の根の中から土の中へ菌糸を伸ばして、土の中の養分を吸収して、それを植物に与えますが、根っ子はそのお返しに、植物が光合成で作った炭素化合物を菌根菌へ提供するのです。まさに「お互いさま」の関係ですね。
これによって炭素がしっかり土に閉じ込められて、土の中の微生物が活性化し、生物多様性に富んだ循環型のサイクルが生まれるのです。
牛のゲップが問題になるのは、工業型畜産で牛肉を年間5800万トンもの規模で大量生産しているからであって、問題はその育て方のほうだったのです。
こうした生態系の循環にそった方法は、リジェネラティブ・アグリカルチャー(環境再生型農業)と呼ばれ世界で注目を集め、日本でも実施が始まっています。適切な規模感で本来の生態に沿ったアプローチをとったとき、牛はむしろ環境再生の切り札になるのです。