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 訓導を射殺し 更に巡査をも刺殺す けさ南品川の淺(浅)間台小學(学)校長の宅へ押入った強盗 慘(惨)忍きは(わ)まる兇賊

 9日未明、(東京)市外南品川浅間台(現東京都品川区)1418、浅間台小学校校長宅へ強盗が押し入り、同居の同小学校訓導、千葉県生まれ、幸内虎吉(31)をピストルで射殺して逃走した。それから約30分後、(国鉄)品川駅構内に1人の怪漢が現れ、駅員に誰何(すいか)されて逃走を企て、追撃した同駅請願巡査・飯束喜代政(39)の胸部を短刀で突き刺し、即死させて逃走した。犯人はいずれも黒の詰め襟服に茶褐色のズボンをはいた労働者ふう、32歳くらいの男。警察は同一犯人の見込みで、朝来、判・検事とともに中谷(警視庁)刑事部長は鑑識、捜査両課長や多数の刑事を従えて現場に出張。捜査している。

 記事では「見込み」としながら、見出しでは2件を同一犯人と断定しているのは当時の新聞記事らしい。訓導の名前は正しくは「寺田留吉」、巡査は「飯田千代治」。訓導とは小学校教諭のこと、「誰何」とは「誰か」と問いかけることだ。

 請願巡査は、この「大正事件史」の「亀戸警官電殺事件」でも出てきたが、企業などが経費を負担した警察官。東朝の記事は「先づ(まず)第一彈(弾)を 校長に發(発)射す」の中見出しを挟んで続く。

 (男が)関根(岸郎)校長宅に押し入ったのは午前4時20分ごろ。覆面して勝手口から入り、八畳間に通って校長を揺すり起こし、ピストルを突き付けて「金を出せ」と脅迫した。校長が「何もないから帰れ」と言うと、賊はピストルを発射したが、弾丸は布団に当たり、校長は難を免れた。そのうち、隣室に寝ていた幸内訓導が目を覚まし、校長の危難を救おうとして賊に飛びつき、格闘した。賊はピストルをまた発射し、2発目の弾丸は訓導の下腹部を貫通。訓導はその場に昏倒した。これを見た賊は3発目、4発目を乱射。何も取れないまま逃走した。幸内訓導は出血が甚だしく、同所の戸塚医院に送られ、手当てを受けたが、午前7時半、絶命した。

「ピストル撃ち尽くし、待ち伏せて警官を刺殺」

 記事の場面は「追跡されるを 待伏せして」の中見出しを入れて品川駅に移る。

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 怪漢が品川駅構内八山下貨物発車場付近の線路上に現れたのは午前4時50分ごろ。第10転轍詰所の転轍手・高橋久作(47)が発見した。間もなく怪漢は線路上でつまづいて転んだ拍子に所持したピストルが自然発射。高橋が誰何すると、怪漢は岸壁の方向へ脱走を試みた。高橋転轍手からの知らせで、構内請願巡査派出所から飯束巡査が駆け付けて追跡を始めた。作業小屋に差しかかった際、怪漢は物陰に待ち伏せて飯束巡査に飛びかかり、短刀で同巡査の下腹部を突き刺した。巡査がその場に昏倒するのを見ると、怪漢は巡査の帯剣の刀身を引き抜き、岸壁に向けて投げ捨てて、そのままどこかへ姿を消した。

「神奈川県警察史上巻」は「犯人は既に全弾を撃ち尽くしていたため、追跡してきた同巡査を刺殺したものであろうと判断された」と書いている。