警視庁と神奈川県警察部は躍起になって捜査。「戸塚宝蔵院の強盗は 果然品川と同一犯人」(12日付報知朝刊)であることを突き止め、10月末以降の東京、神奈川での一連の強盗事件も彼の犯行と断定した。
しかし、目撃証言を基に警官を大量動員して横浜の公園と周辺の山林などの山狩りを実施したものの「ピストル強盗の山狩り失敗す」(13日付東朝朝刊)、「四千人の山狩り空しく 見こんだ犯人は人違い」(同日付読売朝刊)で成果はなかった。
13日付東朝朝刊は社説「警察不備の一因」で次のように述べた。「残忍極まる殺人、強盗が横行する。人心は極度に不安に陥る」が、現在の警察は政府の方に顔が向いていて「国民をして警察に満幅の信頼をはらわしむることができない」。
そうした現実に首都圏住民の不安が拡大。「不安の帝都の夜に 制服の夜警隊を組織」「皆目知れぬ凶賊の行方 凝(こら)す密儀も不安げに」などの報道も続いた。そんな中、事件の舞台は一転、関西へ――。
「地獄への引導を渡してやる」とピストルで胸を一撃
「ピストル強盗 茨木在の料亭を襲ひ(い) 仲居を射殺す」(大阪朝日=大朝)、「ピストルを放つ(っ)て仲居を射殺す 飲食店へ忍んだ二人組兇(凶)漢 共犯者は逮捕さる」(大阪毎日=大毎)。11月14日発行15日付夕刊はこう報じた。踏み込んでいる大朝の記事は――。
14日午前2時ごろ、大阪府三島郡茨木町(現茨木市)大字中條、飲食店「喜楽亭」こと増井豊吉方南側の庭から奥座敷六畳の間の縁の雨戸を外して二人組の強盗が押し入った。六畳の隣の三畳間で寝ていた仲居・田井あい(22)をたたき起こし、あいは主人夫婦に助けを求めた。豊吉が目を覚まして頭を上げると、隣室に覆面をした中柄の紺絣を着た年齢22歳ぐらいの男が立ちながらピストルを差し向け「撃つぞ撃つぞ」と怒鳴ったので、豊吉は恐ろしさにそのまま布団を被り「待て」と叫んだ。賊はその途端にあい目がけて2~3発ピストルを撃ち、押し入った庭先から逃げてしまった。あいはよろめきながら主人夫婦の枕元にぶっ倒れたので、すぐさま付近の田宮医師を迎えて手当を加えたが、同4時半、死亡した。
「予審請求書」は被害者を「田中せい」としている。「捜査と防犯」の記述によれば、彼女が大声で泣き叫ぶので、ピス健は「ことが面倒になった。もはや地獄への引導を渡してやるぞ」と捨てぜりふを放ちつつ、ピストルで胸部を一撃したという。大朝には「共犯者捕はる」の中見出しの別項の記事がある。
「大阪と品川の凶賊は同じか別か」
ピストル強盗は二人組で、凶行後、現場から東方に逃げたが、同日午前11時ごろ、1名は同郡大冠村(現高槻市)野田の樋尾川堤防で刑事らの手で取り押さえられた。茨木署に連行。目下、大津刑事課長が取り調べ中である。この者は本籍広島県呉市今西通6丁目の男で、あいを射殺した主犯はもう一人の男だが、樋尾川堤防のやぶの中に逃げ込み、警官隊に包囲されたが、どこよりかすきをうかがって逃走。行方をくらました。同人は紺サージ(スーツなどに使われる滑らかな毛織物)詰め襟の洋服を着て、裸足で鳥打ち帽を被っていた。