相撲界が混迷を極めている。貴ノ岩への暴行事件は日馬富士の引退、さらに相撲界全体の批判に広がり、渦中の人物として横綱・白鵬に世間の目は注がれている。横綱はいま何を思うのか。白鵬を8年に渡り取材した元新聞記者が『白鵬伝』を上梓。「白鵬讃歌の本ではない」ときっぱり言う著者が、彼を追い続けた理由とは。知られざる白鵬の姿を存分に語った。

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彼に“かみつかない”わけにはいかない

『白鵬伝』(朝田武藏 著)

――なぜ白鵬について書きたいと思ったのでしょうか。

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「白鵬と初めて会ったのは、2009年の12月23日に開かれたあるクリスマスパーティでした。ひとり遅れてやってきた白鵬が、みんなの前で『横綱白鵬です』と会釈したんです。いやあ、そのときの仕草が印象的で。非常に好青年だなと思いました。

 私は当時日経新聞の編集委員で、それまでに何百という職種の人を取材させてもらっていました。その中で人間というものにすごく興味を持つようになりました。ニューヨーク支局に勤務している時に松井秀喜と懇意になり、新聞で連載を執筆したり、帰国後は矢沢永吉さんの連載をする機会などに恵まれて。そうしているうちに、人の人生を変えるような仕事をしている人の輝きというのがこんなにもまばゆいものかということを知ったんです。

 ですから、白鵬の輝きにひとめで魅せられました。相撲のことは子供の頃から見ていて好きでしたし、記者として彼に“かみつかない”わけにはいかない。取材はすぐに始めました。当時は、朝青龍が辞める直前でした。そして年が明けてひとり横綱となり、双葉山の記録に迫った63連勝がスタートした」

大相撲 平成30年初場所 2日目の白鵬 ©志水隆/文藝春秋

客のまばらな中でひとり奮闘する

――『白鵬伝』は3部構成ですが、そのうちの1部を割いた双葉山越えへの挑戦ですね。

「白鵬が24〜25歳に挑んだ記録です。取材を始めてすぐにただ者ではないとわかりました。まず2010年3月場所の優勝インタビューで『勝利の哲学はなんですか』と聞かれて、『勝つ相撲を取らないことです』と答えたんです。私はまったく意味がわかりませんでした。ジャーナリストとしては火が付かないわけがない。これはわかるまで聞きたいと思いました」

――新聞で記事にすることも、ましてや本にまとめることも決まっていなかったんですよね。

「そうですね。でも私の中で完全に火が付いたのは、その年の賜杯なき名古屋場所(野球賭博問題などの不祥事による)です。閑古鳥が鳴いているところで彼はひとり奮闘を続けました。そして表彰式で嗚咽したんです。その姿は決定打だった。これほどの思いを味わいながらも全勝優勝で47連勝。私は翌日、日経新聞の社員でありながらモンゴルについていってしまった。この話を聞かなければと、いてもたってもいられなくなって、急遽夏休みをとりましてね。

 相撲人気が低下する中、横綱は自分が勝つことで、『私の方を向いて下さい。私のことを取り上げて下さい』とアピールしたんです。しかし翌年には八百長問題が起こり、震災があって、相撲界はさらに低迷していきました。そして今回3回目の事件となる日馬富士事件が起きた」