ジャルジャルの福徳秀介はこう語る。
「M-1の緊張感は異常。M-1は人生を賭けてる人が多いからでしょうね」
18年のプラス・マイナスのネタは、そのほとんどがデビュー間もないころにつくったものだった。岩橋が説明する。
「それまではやり慣れてないネタで、緊張し過ぎて失敗していた。なのでラストイヤーは自分たちがいちばんやり慣れてるネタで行こう、と。僕らの原点も、その頃にあるんで。昔、NSC(吉本の養成所)の先生に言われたことがあるんです。『君の最大の魅力は、やかましいところやな』って。15年前に、もう答えは出てたんですよ」
プラス・マイナスはこの年のM-1で、一回戦と準々決勝以外は、すべて違うネタで勝負した。
M-1を勝ち抜くために
芸人たちの間に定着している「M-1必勝法」の中には1~3回戦、準々決勝、準決勝とステージごとになるべくネタを変えた方がいいという通説がある。その理由を岩橋はこう語る。
「同じネタだとお客さんや審査員も飽きる。あと、決勝で最終決戦まで残ったら、2本ネタを披露せなあかん。何本も強いネタがあることをアピールしといた方が通りやすいと思うんです」
ネタの作り方はコンビによって様々だ。プラス・マイナスの場合は、兼光タカシがまず台本を書き、それに対し岩橋がいろいろな注文を付け仕上げていく。その際、兼光は、ほとんど意見を挟まないそうだ。
「揉めるんが嫌なんで」
達観したかのような口振りだった。
いいネタは、毎年のようにできるものではない。プラス・マイナスも本当の自信作は10本程度だ。その中でも選りすぐりのネタを一回戦から投入していった。最初の関門である準決勝用に温存していたのは、二人で消防士を演じるネタだった。ハイテンションでトンチンカンなやり取りを繰り返す。勢いがあり、ウケどころもはっきりしていた。本番では、目論見通り、何度も観客を爆笑の渦に巻き込んだ。
トイレでエゴサーチ
準決勝の約2時間後、同会場でファイナリスト9組が発表されることになっていた。プラス・マイナスは仲間内では「いちウケ」だったともっぱらだった。岩橋が思い出す。
「準決勝が終わってから、みんなが『行ったな』って言うてくるんです。あれが本当に罪で。僕もその気になっちゃいましたから」
決勝メンバー発表までの間、岩橋は福徳とミキの昴生と食事に出かけた。昴生が岩橋の様子を振り返る。