ジョンベネ事件の記事が壁一面に貼られた家に住む男
また、クラーク氏は、隣人たちの話から、メイヤーがジョンベネに興味を持っていたことを知る。
「隣人たちは、メイヤーがジョンベネが美少女コンテストのステージで行うパフォーマンスの練習をしているところをよく藪の中から覗き見していたと話していました。また、パッツィーは外出する時、ジョンベネをバーンヒル家に預かってもらうこともあったのですが、バーンヒルは、家の中で1時間ほどジョンベネの姿が見えなくなることがあったと話していたという。
同じ頃、ジョンベネの幼稚園での様子がおかしいと幼稚園の先生がパッツィーに報告していました。明るかったジョンベネが隅っこで1人で過ごすようになったというのです。私は、この頃、ジョンベネが、メイヤーが住んでいた地下室で、彼に性的な虐待を受けていたのではないかと推測しています。メイヤーの4番目の妻のヘイの話によると、メイヤーには女性に対する虐待歴があったからです」
ヘイによると、メイヤーのジョンベネに対する興味は常軌を逸しており、ヘイはメイヤーが犯人だと確信していたという。
「メイヤーは、事件後、インディアナ州に戻り、小さなアパートに住んでいたのですが、誰も、部屋の中に入れることはなかったそうです。なぜなら壁は、床から天井まで、何十ものジョンベネ事件に関する記事で飾られており、まるでジョンベネを祀る神殿のようだったからです。しかし、ある時、記事がコンロの上に落下し、火災警報器が鳴ったことから消防士がアパートに駆けつけたそうです。しかし、消防士はすぐには中に入ることができなかったのです。メイヤーが、部屋の中を見られたくないために、入り口に家具を置いてバリケードを作っていたからだと言います」
また、脅迫状はパッツィー所有のノートパッドに書かれていたとされているが、クラーク氏は、メイヤーがそのノートパッドをラムジー家から持ち帰ったのではないかと推測している。
「脅迫状が書かれていたノートパッドはパッツィーのものだと言われていましたが、コストコで24冊パックで売っているようなノートパッドでした。また、家族全員が共有して使っていたもので、パッツィー専用のノートパッドとは言えなかったのです。
では、メイヤーはそのノートパッドをどうやって持ち帰ったのか? 警察のレポートによると、メイヤーは、クリスマスの数日前、ラムジー家で行われたクリスマスパーティーに姿を現していました。それは、26人もの客が訪れた大きなパーティーでした。メイヤーは、家主のバーンヒルが犬が吠えているのを嫌がっているとクレイムを言いにラムジー家に来たのですが、ラムジー氏はそんなメイヤーをパーティーに招き入れました。
メイヤーはその時、家の中を歩き回り、ノートパッドを見つけて、持ち帰ったのではないかと思います。ちなみに、ノートパッドはラムジー家の至る所に置かれていたそうです」
もっとも、メイヤーは事件後、何度も警察の聴取を受けていたのだが、DNAがマッチせず、嘘発見器でもシロという結果が出たこと、また、家主のバーンヒルが事件の夜はメイヤーは家から出なかったと証言したことから、容疑者リストからは外された。また、メイヤーは、2005年に他界したので、真相を彼本人から聞くことはできなくなった。
クラーク氏は隣人たちにも聞き込みを行った。その結果、バーンヒルの息子や孫たちの存在も浮かび上がってきた。隣人たちはバーンヒルの息子がメキシコ系のドラッグ・カルテルと関わっていることを懸念していると話したという。実際、関わりを示す書類もクラーク氏は見つけた。
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クラーク氏が新たに見つけた手がかり。それは今まで誰も注目しなかった新事実だった――。(後編へ続く)