1996年12月25日深夜から翌朝にかけて起きた、6歳の美少女ジョンベネ・ラムジー殺害事件から26年になる。
8年前から、ジョンベネ殺害事件を個人的に調査してきた私立調査員のロスコー・クラーク氏は、「世界最大のコールド・ケース」解決につながる新たな糸口を見つけつつあるという。(全2回の2回目/前編を読む)
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殺害現場の3軒先で行われた大規模なドラッグ・パーティー
また、折りしも、12月25日の夜は、ラムジー家の3軒先の家で、大規模なドラッグ・パーティーも開かれていた。
ジョンベネの胃袋からパイナップルが見つかったことは前述したが、クラーク氏は、そのパイナップルは、ドラッグ・パーティーに参加した人から持ち込まれたものではないかと推測している。
「ジョンベネの胃にあったパイナップルは缶入りのパイナップルではありません。それは新鮮なパイナップルだったのです。検視官の報告書を見ると、そのパイナップルには、新鮮なパイナップルであることを示すグリーンのラインが入っていると書かれていたのです。
一方、キッチンテーブルのボウルに入っていたパイナップルは缶入りのパイナップルでした。つまり、ジョンベネはキッチンテーブルの上のボウルに入っていたパイナップルを食べていたわけではなかったのです。では、新鮮なパイナップルはどこから来たのか?
ジョンベネの胃からは新鮮なパイナップルだけではなく、チェリーやグレープなどケーキに使われる素材も見つかっています。アメリカはクリスマスパーティーではパイナップルフルーツケーキがよく出されるのですが、クリスマスの夜にラムジー一家が参加したホワイト家のパーティーではそんなケーキは出ていませんでした。そのドラッグ・パーティーの参加者に話を聞いたところ、会場にはウエディング・パーティー並みのビュッフェが設置されていたそうです。
私は、ドラッグ・パーティーに参加していた人物が持ち込んだパイナップルフルーツケーキをジョンベネは食べたのではないかと考えています」
では、誰が、このパーティーに参加していたのか? クラーク氏によると、当時20代前半だったバーンヒルの男孫、女孫、そして、女孫の元夫の3人が参加していたという。そして、彼らが、事件の重要参考人だと考えている。
実際、ジョンベネの下着からは3つの異なるDNAが見つかっていた。また、現場には3つの異なる靴の跡が残されていたという。さらには、隣人の1人が、事件後、数人の人々がラムジー家から逃げ去るのを目撃していたという。
クラーク氏は、また、ジョー・バーンヒルも事件に関与していると推測している。
「脅迫状には、最後に、“Victory! S.B.T.C.”と記されていたが、家主のジョーは第二次世界大戦時、SB2Cという戦闘機に乗っており、家の壁にはSB2Cの水彩画が貼られていたからだ。ジョン・ラムジーの調査員はそのことをボールダー警察に伝えたが、警察は調査をしなかったのです」