その夜、ジョンベネの寝室で何が起きたのか? クラーク氏の推理――
では、実際に、12月25日の夜から、その翌朝にかけて何が起きたのか? クラーク氏の推理に基づいて再現してみよう。
ラムジー家の3軒先で行われていたドラッグ・パーティーに参加していた、バーンヒルの男孫、女孫、女孫の元夫の3人は、ラムジー家にキッチンのドアから侵入、眠りについていたジョンベネの寝室に忍び込む。
3人はコードをジョンベネの首に巻きつけ、締め付けた。ジョンベネが叫び声をあげないようにするためだ。また、ジョンベネが動かないようにするため、スタンガンをジョンベネの背中に当てた。
女孫はジョンベネを“パプース”と呼ばれる、アメリカの先住民が行う包み方で包んだ。
女孫の元夫の両親は保育施設を経営していたが、それは、その保育施設で行われている包み方でもあった。(ジョンベネの遺体は、発見時もこの包み方で包まれていたという)
26日の午前1時半頃、隣人が女の子の叫び声を聞いた。その叫び声は一瞬のもので、すぐに止んだ。首に巻き付けられていたコードがちょっと緩んだ時に、ジョンベネが叫んだのだとクラーク氏は推測している。
3人はシーツに包んだジョンベネを螺旋階段を通って、地下室に運んだ。
(なぜ、クラーク氏が螺旋階段を使ったと考えているかというと、ジョンベネの髪にメタリック・グリーンのホイルがついていたと報告されていたからだという。ラムジー家の螺旋階段には、クリスマス用のホイルが飾られていた)
誘拐したジョンベネと地下室に潜んでいた3人。
しかし、朝5時52分、脅迫状に気づいたパッツィーが警察に通報したことを、3人は地下室にも設置されていた電話を通じて知り、怒りから、ジョンベネを殴って殺害する。殺害に使われたのはスイスアーミーナイフのスクリュードライバーやレンガだという。
しかし、3人はジョンベネを殺害後、すぐにラムジー家から逃走しなかった。逃げたのは、パッツィーの連絡を受けて警官が駆けつけた30分後くらいだった。
3人がすぐに逃走しなかったとクラーク氏が考える理由について、同氏はこう話す。
「犯人たちがすぐに逃げなかったのは、足跡を残したくなかったからでしょう。事件の日の明け方は、霜が深く降りていたからです。警官はラムジー家に到着後、すぐに家の周囲の足跡を調査しましたが、足跡は見つかりませんでした。そのことも、ラムジー家の人々に嫌疑がかけられた理由の一つになりました。
足跡が見つからなかったのは、3人がエレベーターのシャフトに隠れていたからだと私はみています。3人は、警察が足跡の捜査を終えた後に、ラムジー家から逃げたのでしょう。ラムジー氏も犯人は家の中に隠れていたのではないかと考えています」
また、実際に、それを裏付ける証言もあるという。
「警察がラムジー家に駆けつけて30分後くらいに、バスルームを使っていた隣人が、暗闇の中に数人の人々がいるのを見たと話しているのです。それはラムジー家から逃げた男孫、女孫、女孫の元夫の3人ではないかと思われます」