ジュリア そう。ハーフだから、嫌でも目をつけられちゃうんですよ。日本でもそうだし、イタリアでもそうでした。イタリアに永住するつもりで向こうの親戚の家に居たこともあったんですが、「母親が日本人だから」という理由で嫌がらせを受けて、結局1年で日本に帰国しました。人間って、自分と違う存在を排除しようとするんだなって。もちろんそういう人ばかりじゃないけど、くだらないよね。
23歳で専門学校へ 家賃4万円のボロアパートで…
――高校をやめた後は、どう過ごしていたんですか?
ジュリア 実家のレストランで店長をやったりして、その後もずっと飲食業界にいたんですよ。新しいことがしたくなって、23歳でヘアメイクの専門学校に入りました。学費を稼ぐためにキャバクラでバイトも始めて、当時は本当に忙しかったです。学校が終わったら少しだけ仮眠を取って、出勤して、朝5時くらいまで働いて、また仮眠を取って日中はずっと学校。そんな毎日でした。
当時は、新中野の築70年、家賃4万円のボロアパートに住んでいて、たまに電気とか水道が止まっちゃう。月30万円くらいの学費を1年払い続けたのはかなりキツかったけど、自信になりました。学費を全部払い終わったときの、あの達成感は忘れられないですね。専門学校では必死に学んだし、特殊メイクやヘアメイク自体はめちゃくちゃ楽しかったんですけど、これを自分の仕事にするのは違うのかも、裏方をやるより人前に出たいのかも、と薄々感じてて。今考えると、盛大に金を使った趣味みたいな1年になってしまいましたね(笑)。専門学校を卒業して数カ月後にプロレスサークルに入って、今に至ります。
苛烈なバッシング。カッターを送られたことも
――そこからプロレスの世界に飛び込んだのは?
ジュリア キャバクラのお客さんの同伴で試合を観戦して、一気にハマりました! プロレスへの興味自体はずっとあったんですけどね。小さい頃、WWEの試合映像をテレビで見た記憶があります。あと母親が神取忍さんの大ファンで、「柔道時代の神取さんと握手したことがある」って自慢話を聞かされて育ちましたから(笑)。
真剣に戦う選手達を見て、自分にたくさんの生きるパワーをくれるプロレスが大好きになった。そんなファン時代に見た、あるブリブリしたヌルい女子プロレスラーが許せなかったんですよ。「コイツは私の大好きなプロレスを舐めてる」って。恥ずかしい話なんですけど、最初は「コイツになら勝てるわ」と思ってデビューを決めたんですよね(笑)。……この話、初めてしたかもしれない。
――プロレス団体「アイスリボン」からデビューし、2019年11月にスターダムに移籍。移籍の経緯は公表されていない部分も多かったため、ジュリアさんが大バッシングされる事態となりました。