そんな中、「蛍丸」の販売を通じて知り合った全国の顧客からSNSで励ましの声が届き、通潤酒造にネット注文が殺到した。事業の再建もままならない中だったが、社員総出でネット注文に応じ大忙しの日々となる。
そして5月3日に東京・有明で「SUPER COMIC CITY」というイベントが開催された。この日のために社員一丸となって瓶詰めした蛍丸2000本を、菊池が会場で販売すると半日で売り切れた。蛍丸を通じて知り合った全国の若い世代から、熊本地震後にこのような熱い支援を受けて、山下や社員たちは通潤酒造の経営を立て直す勇気が出てきたという。
熊本地震後に、蒲島郁夫熊本県知事は「創造的復興」「震災前よりも良いものを創る」を提唱した。山下はこの言葉に力づけられる。
ちょうどその頃、知人からアメリカ・カリフォルニア州のワインの産地、ナパバレーに行くことを勧められ、山下夫婦はワインツーリズムを体験するためにナパバレーを旅した。ナパバレーのワイナリーでは、3種類のワインを50ドルで有料試飲に提供しており、なかには有料試飲が100ドルもするワイナリーもあった。それでも観光客が続々と訪れて、気に入った高額のワインを購入していた。山下はナパバレーのこうした状況を見て、目からウロコが落ちるような思いだったという。
帰国後、山下は「創造的復興」をさらに進めるために、「酒蔵エンターテイメント業」への変革を決意する。熊本地震関係の復興補助金を受け、さらにクラウドファンディングでも寄付を募って、江戸時代からの寛政蔵を「おもてなしのカフェ」にした。ここでしか味わえない利き酒セットを数種類用意したが、山奥にある通潤酒造には車を運転してくるお客も多いため、ノンアルコールのドリンクや甘酒、スイーツのメニューも充実させた。
寛政蔵はあくまでカフェとして経営し、本格的に食事を楽しみたい人には山都町の割烹店を紹介している。こうすることで地域での滞在時間を長くし、観光客が地域を循環するようにしているのだ。
地方にある企業は、一般に「IT化・ブランド化・国際化」が遅れていることが多い。しかし熊本の山奥にある通潤酒造は、海外販売やネット通販を推進し、独自の商品を開発し「酒蔵エンターテイメント業」にチャレンジしてブランド化も進めた。逆に言えば、この3つを推進してきたからこそ、通潤酒造は山奥の小さな酒蔵でも生き残れたと言えるだろう。
さらに通潤酒造は、本書のテーマであるSLOCシナリオを見事に実行している。このように山奥にある小さな酒蔵でも、地域資源を活かした商品開発をし、全国に情報発信して若い世代ともつながりを持つように努力し続けることで、ビジネスの幅が広がるのだ。