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4000リットル以上の日本酒がタンクから流出…救ったのは「刀剣乱舞」? 熊本地震で被災した酒蔵が“復活”できたワケ

『山奥ビジネス』より#1

2023/01/05
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 菊池はネット通販の経験はなかったが、山下は中小機構の専門家派遣制度で月に一度派遣される専門家から、菊池がネット通販の指導を受けられるようにした。菊池は通潤酒造の酒造りについてのブログを書き、SNSでも積極的に発信をして、通潤酒造のネット通販を軌道に乗せようと日々懸命の努力をしていた。

 ある日、菊池はオンラインゲーム「刀剣乱舞」に出てくる「蛍丸」という刀のことを友人から聞く。「刀剣乱舞」とは2015年1月にリリースされた人気ゲームで、テレビアニメや映画化もされている。そして「蛍丸」という刀は、山都町と以下のような由縁がある。

「蛍丸」とは、南北朝時代の南朝側の武将である阿蘇惟澄(これずみ)が所有していたとされる刀だ。阿蘇惟澄は1336年の多々良浜の戦いで北朝側と戦ったが敗れ、山都町矢部地区にある入佐城に戻った。そこで阿蘇惟澄は戦で刃こぼれした刀が自然に修復する様子を夢に見たという。その様子がまるで刀のまわりに蛍が飛んでいるようであったことから、その刀を「蛍丸」と名付けたとされる。

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 その後、「蛍丸」は阿蘇神社や肥後熊本藩の細川家などで保管されていたが、戦後GHQによる刀狩りから行方が分からなくなっており、まさに「伝説の名刀」となっているのだ。

 菊池はオンラインゲームで「蛍丸」が話題になっていることを社長の山下に話したところ、「蛍丸」と山都町は深い縁があるので通潤酒造で商品化することにした。新しく蛍丸のボトルをデザインしたのは、山都町にある「みずたまデザイン株式会社」である。2010年に東京から山都町へ移住した夫婦が、山奥で予約制のカフェとデザイン会社を経営していたのだ。

 蛍丸のボトルデザインは、370mlの細い瓶の表に黄色い蛍が舞うように描かれ、裏側には刀剣が縦に描かれている。ボトルに日本酒が入ると、ちょうど刀剣の上を蛍が舞っているように見える。こうしてその土地の伝承をボトルにデザインした「純米吟醸酒 蛍丸」を、2015年の6月に商品化することができた。

「蛍丸」のボトルデザイン(写真提供:通潤酒造)

「純米吟醸酒蛍丸」は内容量370mlで1528円(税込)と日本酒としては割高である。しかし「刀剣乱舞」の人気もあって全国からネット注文が殺到し、最初の300本は数秒で完売したという。その後も人気が続き、今では年間1万本以上が売れている。このように人気オンラインゲームと山都町の伝承を結びつけることで、全国の若い世代に山奥にある通潤酒造の日本酒を買ってもらうことに成功したのだ。

熊本地震での被災と酒蔵エンターテイメント業への転換

 2016年4月14日と16日に発生した熊本地震では、震源地に近い山都町でも震度6弱を記録し、通潤酒造も甚大な被害があった(写真)。14棟の蔵や建物が全半壊して4000リットル以上の日本酒がタンクから流出した。

熊本地震での被災の様子(写真提供:通潤酒造)

 16日未明に起きた本震では、山下が自宅の2階で寝ているとドーンという大きな音がして家屋が激しく揺れ、2階の壁が崩れ落ちて外が見えていたという。山下は「蛍丸のヒットで売上が上向きになってきたところなのに、この先、酒蔵を続けていけるだろうか」と将来に大きな不安を持つようになった。社員たちとガレキの片付けを始めたものの、被害のあまりの大きさに途方に暮れる日々だった。