「熊しか買いに来ない」と地元の人が忠告
2人はパン工房を開業するための「郊外にある空き家」を求めて、いろんな人に声をかけた。すると知人の1人が岩見沢市郊外の美流渡を紹介してくれた。知人と一緒に初めて美流渡を訪れた中川夫妻は、この土地が持つ独特の空気感に一目惚れしたという。「北海道というと広大な平原というイメージがありますが、美流渡は丘陵地帯で美しい林が広がり、『まるで軽井沢みたい』と思いました」と文江は述懐する。
その知人は、さらに町内会長で陶芸家の塚本竜玄(1933年~2013年)を紹介してくれた。塚本は1986年から美流渡に移住し「ミルトアートパーク」構想を提唱し、美流渡をアートの地とする活動をしていた。その頃の美流渡には、陶芸家やガラス細工作家などのアーティストたちが移住して創作活動をしていたそうだ。
中川夫妻は塚本にここでパン屋をやりたいことを話すと、「君たちは正気か? ここでパン屋をやっても、熊しか買いに来ない。絶対に生活していけないよ」と忠告された。それでも中川夫妻は、「ここでしかできないことをして生活をしたい。これからはそういう時代なんです。自信があります」と熱い想いを訴えた。地元の人たちも2人の熱意に押され、中川夫妻はかつて町内会館だった古い木造家屋を譲り受けることができた。
その木造家屋は築60年以上で約70畳、30畳分は床の一部は抜け落ち、壁も崩れていた。達也はDIYが得意な文江の父の力を借りて、約半年をかけてこの古い家屋をパン工房にリフォームした。残りの40畳に家族4人で住んだが、ボットン便所でお風呂もなかった。自宅を改修する資金がなかったため、ボットン便所はそのまま使い、お風呂は近所にある温泉に通うことにした。
以前の札幌での生活では水洗トイレで毎日お風呂に入る生活だったが、移住当時10歳と7歳だった2人の息子には「これからは貧乏生活をするよ」と宣言したという。当時のことを「『北の国から』に『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』と『男はつらいよ』を足した、ドラマのような生活が始まりました。2人の息子たちは、たくましく育ちましたよ」と文江は笑いながら話す。中川一家がすごいところは、こうした劇的な生活の変化を、むしろ楽しんでいたところである。
「惚れて通えば千里も一里」
「ミルトコッペ」というパン工房を1998年10月に開業すると、あまりにも山奥にパン屋ができたことが珍しかったため、新聞社が6社も取材に来た。新聞で紹介されると、今度は地元のテレビ局やラジオ、雑誌が取材に来て、2004年3月には当時の人気番組『どっちの料理ショー』でも紹介されたという。こうしたメディア紹介でミルトコッペは開店以来、全く広告宣伝をせずに札幌や旭川、北海道外からもお客が来るパン工房となった。
人気の理由は山奥にあるという物珍しさだけではなく、達也が焼くパンの素朴なおいしさにもある。ミルトコッペのパンは、天然酵母を使ったパン生地を12時間じっくりと発酵させ、薪窯で焼き上げる。
実はミルトコッペのパン作りでは、電気もガスも使っていない。前日に達也が30キロの小麦粉を手でこねて、常温で発酵させて、石を積み上げた薪窯で焼くので、いわば「縄文人がパンを作っているのと同じやりかた」なのだ。自然の力と、人間の知恵と感性で焼かれるミルトコッペのパンは、外はパリっと焼きあがり、小麦の美味しさをしみじみ感じるパンである。
ミルトコッペは岩見沢市内から車で30分ほどの山奥にあるが、10時の開店前から行列ができ、午前中には売り切れてしまう。達也の体力的な問題があり、現在は木曜日から日曜日までの週4日営業で、しかも4月下旬から10月までの半年しか営業していない。1年前に通販を止めたので、ミルトコッペのパンを買うためには4月下旬から10月の営業日に美流渡まで行って、開店前に並んで買うしかない。
「惚れて通えば千里も一里」というが、山奥の過疎地にあっても人気店となっているミルトコッペは、まさに「山奥ビジネスの神髄」である。