「約束を遵守しないのは看過できない」──厄介な隣国との知られざる攻防。ジャーナリスト・岩田明子氏による「日韓激突『靖国と慰安婦』」(「文藝春秋」2023年1月号)の一部を転載します。

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 第一次政権の退陣からしばらく経った頃のことだ。その日、私は安倍晋三元総理と、共通の知人を交えた会食の席で鍋をつついていた。何かのきっかけで、安倍が自身の歴史観や外交問題を語り始め、韓国との「従軍慰安婦」問題についても率直な考えを明かした。

「譲れない一線は変わらない。ただ、いつまでもこの問題が原因で日韓外交の戦略を描けないでいるのはいかがなものか。もし私が再びリーダーになる日が来たら、その時は自分の責任でこの問題にピリオドを打つ。私が頭を下げることで解決したい。将来の日本人には、これ以上、十字架を背負わせたくないんだ」

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 その発言に私は衝撃を受けた。

 慰安婦問題について、安倍は保守政治家ならではの確固たる信念を持っていたはずだった。

 第一次政権時代から安倍は、「慰安婦は性奴隷だった」という世界に遍(あまね)く広まったイメージを払拭しようとしていたし、1993年に、日本軍による強制連行を認め、「心からのお詫びと反省」の意向を表明した河野談話の修正も考えていた。

 そんな当時の安倍をよく知っていただけに、この「頭を下げる」という言葉が意外で、深く心に残った。だが、そこには徹底したリアリストとしての安倍ならではの熟慮と計算があったのだ。

安倍と朴槿恵 ©時事通信社

 第一次政権時代の安倍は、あくまで理念を前面に打ち出し、保守政治家のプリンスから脱せられなかった面があったと思う。だが、屈辱の退陣を経験し、雌伏の5年を経て2度目の総理に返り咲いた安倍は、まるで別人のように変貌を遂げた。政策の幅が広がっただけではない。以前はなかった、政治家としての強かさ、冷徹さ、さらに柔軟さをも兼ね備えるようになった。

 特筆すべきが、歴史問題に対するリアリストとしての立ち居振る舞いだ。保守的な歴史認識を掲げながらも、国益を最優先し、相手国との良好な関係を築くバランス感覚。第一次政権では見られなかった姿勢だが、それが遺憾なく発揮されたのが、2015年12月に結ばれた「日韓慰安婦合意」に至るまでの過程だったと私は見ている。

 この慰安婦合意は「最終的かつ不可逆的に解決」との文言が盛り込まれ、実際に履行されれば、何十年にもおよぶ議論に終止符を打つ画期的な内容だった。「戦後が終わった」「謝罪外交から解き放たれた」との評価の声も上がったほどだ。今回、その変遷をつぶさに辿ってみたい。

「河野談話」を見直すべき

 第一次政権で慰安婦問題が最も注目されたのは、政権発足から間もない2007年1月末のことだ。

 米国のマイク・ホンダ下院議員らが「旧日本軍が若い女性を強制連行し、性的奴隷としていたことを公式に認め、(日本は)謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきだ」という趣旨の決議案を議会に提出。安倍に首相としての公式謝罪を求めたのだ。