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「9年間は赤字、10年目でも年収60万」彼女にもフラれ…それでも但馬で「牛飼い」になった“異色和牛農家”の超奮闘

『稀食満面 そこにしかない「食の可能性」を巡る旅』より #1

2022/12/29

「僕、大学デビューして調子に乗っていたので、後輩に『俺は牛飼いになる』と粋がってたんです。でも、畜産業をイチから始めるには、当時最低3000万円の初期投資がいると言われていたし、土地も人脈もありません。研修先で月に15万円もらっても手元に残るのは5万円ぐらいなんで、何年間も修業しながら、夢破れて別の仕事に就く先輩の姿もたくさん見ました。だから、正直無理だなと思ってたんですよ。それで自分の夢から目を逸らすように大学院に進んだのですが、当時の彼女に人前で『あなたは口だけ。嘘つくな』と言われて、引くに引けなくなったんです」

写真はイメージです ©iStock.com

就農計画では9年間赤字で10年目に年収60万円という数字が…

 研修先のあてもなく、昔、各所に無料で配られていた電話帳『ハローページ』で畜産農家を探し、5軒ほど見学に行った。そのなかで、「牛舎のところにあった桜がきれいだった」「親方の奥さんが優しそう」という理由で選んだのが、兵庫県香美町の和牛繁殖農家だった。

「やるからには本気で独立の道を探ろう」と、研修先ではなんでもがむしゃらに取り組んだ。しかし、独立した際の就農計画を立てると、9年間赤字で10年目に年収60万円という数字が出た。

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「一生懸命やったんだけど、なんの打開策も見いだせなかった。先行きがまったく見えず、正直、しんどかったです」

 研修を始めて1年、「どう考えても独立は無理」と感じた田中さんは、それまで学費や生活費などをサポートしてくれた両親に申し訳なく思い、謝ろうと実家に電話をした。

 しかし、電話に出た母親にいざ話をしようとすると、親方や牛の姿が脳裏に蘇ってきた。

 それは、不器用ながらも生まれて初めて夢に向かって必死に取り組んだ記憶だった。

「やっぱり、牛飼いをやりたい。諦めたくない」

 受話器を握りしめながら涙があふれ、それはすぐに嗚咽に変わり、思いを言葉にできないまま電話を切った。その日、腹をくくった。

「9年間赤字でもいい。年収60万でもいい。この世界でやれるとこまでやってみたい」

 田中さんは休学中だった大学院を退学して退路を断ち、親方に頭を下げて研修を1年延長した。

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