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「9年間は赤字、10年目でも年収60万」彼女にもフラれ…それでも但馬で「牛飼い」になった“異色和牛農家”の超奮闘

『稀食満面 そこにしかない「食の可能性」を巡る旅』より #1

2022/12/29
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意外な理由で始めたブログ

 2006年12月、田中さんは28歳にして自社の牛舎で50頭を飼育するまでになり、就農した時の目標を4年で達成した。

 しかし、ものごとを性急に進めすぎていたようだ。新しい牛舎が完成するまでは十分なスペースがなかったので、あちこちに小さな牛舎を借りて、増やした母牛を管理していた。

 そのうち、すべての牛を見て回るのに移動時間だけで2時間もかかるようになり、一頭一頭に目が行き届かなくなって、何頭も死なせてしまったのだ。

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 牛が増えれば、エサ代もかさむ。牛が死んでも、購入費は支払わなければならない。牛舎の建築費もかかる。いつの間にか借金の返済で首が回らなくなり、両親にお金を借りても足りず、アルバイトでもするしかないと思うほど追い詰められた。

 この苦境からなんとか抜け出そうと、当時流行っていたビジネスコーチをつけた。すると、そのコーチから「人生のパートナーを見つけるほうが大事」と結婚を勧められ、自分を知ってもらうために情報発信するように助言された。

 想定外のアドバイスに首を捻りながらも、確かにパートナーが欲しいと思った田中さんは、婚活目的でブログをオープンした。

写真はイメージです ©iStock.com

 ブログを始めたばかりの2006年12月の投稿には、「10年以内には100頭にする予定です」とある。この頃は明るく、前向きなことばかり発信していたが、それは強がりに過ぎなかった。実際には思うように牛の世話もできず、借金の返済に追われていたのだ。

 この時に手を差し伸べてくれたのが、以前、手伝いに行ったことがある繁殖農家の先輩だった。牛の爪を切る削蹄師の修業をしていたその先輩が、自分の師匠、淀弘さんを紹介してくれた。

 人間と同じく、牛の爪も伸びる。それを放置しておくとケガや病気につながるため、定期的に爪を切る必要がある。淀さんは全国で講習会を開くような著名な削蹄師だったが、当時すでに高齢だったため、弟子はとらないと決めていた。

 しかし、田中さんの苦境を知った先輩が一緒に頭を下げてくれたことで、弟子入りさせてもらうことができた。これで、首の皮一枚つながった。

「専門的な仕事で資格もいりますし、素人が簡単に入れる世界じゃないんです。でも、師匠の一門に入れてもらったことで、素人の僕がイチから学ばせてもらいながら、1年働くと、300万円ぐらいの収入になりました。そのお金を牛につぎ込んで、なんとか復活できたんです」

 田中さんに「師匠と出会わなかったらどうなっていたんでしょうね?」と尋ねると、「(この業界に)もういないと思います」と即答した。それほどの、人生を変える出会いだった。削蹄師の仕事は、収入面の助けになるだけでなく、牛飼いとしての成長にもつながった。

 依頼を受けて牛の爪を切りに行くと、さまざまな繁殖農家、肥育農家と接する。そこで、それぞれの哲学、飼育方法を聞きながら、牛の状態を継続的に見ることができた。また、自分の子牛を買ってくれた肥育農家では、順調に成長しているか、自分の目と手で確認することもできた。

 それは、定期的に訪問する削蹄師にならなければできない経験で、なによりの学びになった。さらに、同業者からも少しずつ認められるようになった。

「放牧のこともあって、最初の頃はよそから来た変わり者だと思われていたんです。でも、但馬で信頼の厚い師匠や兄弟子のもとで修業しながら行動を共にすることで、こいつは信用してもいいかなって思ってもらえるようになりました」

「9年間は赤字、10年目でも年収60万」彼女にもフラれ…それでも但馬で「牛飼い」になった“異色和牛農家”の超奮闘

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