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「勝たせてください…」“女流棋士の卵”だった私が、やがてお祈りをやめるまで

「勝たせてください…」“女流棋士の卵”だった私が、やがてお祈りをやめるまで

2022/12/24
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自分のために願っていた子どもが、子どものために願う親へと変化

 どんなに願っても、願うだけでは叶わない。それどころか、どんなに努力しても、届かない場所というのは存在する。少なくとも私が知っている勝負の世界の中では、願いは無力だし、努力すればどんなことでもできるというのは、ふわふわと浮かんだ雲のようなお話に思える。

 それでも次の対局に向けて前を向くのは、例えばもの凄く強い誰かに勝てないことが、自分が将棋を指さない、勉強しないでいいということと、イコールには決してならないからだ。

 自分の前の道は、自分が戦って拓いていくしかない。

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 おみくじを買い、誰もいないところで願っていた時間は、扇子を片手に将棋盤の前に座る時間になった。

「自分の力でなんとかしてやる!」と尖りまくった10~20代だったが、子どもが生まれ、すぐに消えてしまいそうに見える小さな命を目の前にして、また何かに願う私がひょっこりと姿を現した。

「どうか健やかに育ってくれますように。」

「幸せに過ごせますように。」

 自分のために願っていた子どもが、なににも願わない大人になり、子どものために願う親へと変化した。

 どうして私は、願いは無力だとどこかで思いながらも、願うのだろう。

 どうして、努力では届かない場所もあると思いながら、「頑張ればできる」と励ますのだろう。

今年も無事に過ごせたことに感謝

 子どもの人生は子どものもので、この子がこの先どういう人生を送っていくのかはまったくもって分からない。困難を代わりに取り除いてあげることも、少しずつできなくなることが増えていく。

 娘たちが自分の道を歩んでいく度に、これから先も、私はきっと願い続けることになるのだと思う。

 クリスマスを心待ちにしている娘たちは、12月に入った瞬間からサンタさんに向かって、自分の欲しいおもちゃをお願いしている。サンタさんは自分たちの普段の行いを見ているらしいので、他の月よりほんの少しだけ、お片付けのスピードが上がっている気がする。

 もともと北欧系でシンプルだった、部屋のクリスマスツリーは娘たちの創作物でにぎやかに飾られ、てっぺんにはサンタさんへのお手紙が置いてある。

 もう1年が終わろうとしていて、年が変わる直前に長女は7歳になる。

 今年も無事に過ごせたことに、また、何かに感謝する。

 お正月には初詣に行って、みんなでおみくじを引こう。娘たちは何を願うのだろうか。

 私の願いは少なくとも7年くらいは「家族みんなが健康で暮らせますように。」で変わらないけれど、これが心からの願いだからしょうがない。

 新しい扇子も買いに行かなくちゃ。たぶん長い付き合いになるだろうから、選ぶには時間がかかりそうだ。

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