対局中、盤を見つめながらパチパチといじっていた扇子が、突然ズルッと元の形に戻らなくなった。目線を手元に向けると、和紙の部分が完全に破れ、骨組みがぶらーんと垂れている。
何を思うでもなく、なんとなくしばらく、その光景を見ていた。
扇子を開閉した時の鳴らない音が心地良い
将棋指しにとって扇子は身近な物で、手を読むリズムとして鳴らしたり、手でコロコロと転がしたり、普通に風を扇いだり、使い方はひとそれぞれだ。
1本を文字通りに擦り切れるまで使う人もいれば、ゲンを担いで負けた扇子は次の対局に使わないという人もいる。私は昔から前者で、家に何十本と扇子があろうと、手に馴染んだ1本を使い続けている。
数年単位で使うため、扇子に揮ごうされている棋士の肩書が変わっていることもままあるし、扇子を開閉した時に実際に鳴る音は「パチパチ」ではなく「スッスッ」だ。ボロボロだから替えたらいいのにと思われるかもしれないが、この鳴らない音が心地良いのだ。
この時に使っていたのは大山康晴15世名人の扇子。
「人生各有道」、私には私の道があると思わせてくれる、とても好きな揮ごうだった。
一緒に戦ってくれた戦友、長い期間ありがとう。
おみくじで大吉を引いた日は連勝することが多かった
もともとゲンを担ぐタイプではなかったが、小さい頃はよく何かに願っていた気がする。
通っていた幼稚園がキリスト教だった影響で、女流育成会(当時の女流棋士育成機関)の対局が始まる前には、誰もいないところでひっそり、いつも身に着けていたマリアさまのペンダントを握って「勝たせてください」とお願いをした。
途中からはそれに満足することなく、東京・将棋会館の隣にある鳩森神社で朝にお参りし、おみくじを引き、大吉を引いた日は「今日は勝てる!」とウキウキで対局に向かったものだ。
不思議なもので、大吉だった日は連勝することが多かったような記憶が、未だにある。まぁ、もういろいろと滅茶苦茶だったのだが、それだけ純粋で、勝負に真剣だったのだと、思いたい。
育成会に入ったのは、今の長女とそう変わらない7歳の頃。
将棋を指していない間は、将棋会館内を転がり、暴れ回っていた(未だに先輩からからかわれる)ことを思うと、幸いにして穏やかな長女の性格は夫に似たのだろう。
大人になっていくにつれて、本気でなにかを誰かに願うということも少なくなっていった。