将棋ファンが待ち望んだタイトル戦が、第72期王将戦七番勝負でついに実現した。平成の大天才・羽生善治九段が、令和の最強棋士・藤井聡太王将に挑戦することになったのだ。1月8、9日の2日間にわたって行われた第1局、後手番となった羽生は意表をつく戦型、一手損角換わりを選択。激しい中盤戦で抜け出した藤井が、最後は鋭く寄せきって先勝した。
勝負における「50歳の壁」
将棋というゲームの魅力の一つとして、年齢差を問わずに双方が互角に戦えるということが挙げられる。とはいえプロ棋界の歴史では、前世代のベテランを新世代が破るという構図が繰り返されてきた。いかにトップ棋士といえども、50歳を超えると若い世代と互角に戦うというのは難しい。
今回の羽生は、強豪がそろう王将リーグで、自分より若い世代の棋士を軒並み破って藤井への挑戦権を得た。このこと自体がまず偉業である。これまで、50歳を超えてからタイトル戦に出た棋士は極めて少ない。以下はその一覧である。
50歳以上の棋士が番勝負に出場したタイトル戦
竜王戦:
第33期 羽生善治
十段戦:
第12期~14期 大山康晴
名人戦:
第2期 土居市太郎
第27期、30期 升田幸三
第33期、44期 大山康晴
第52期 米長邦雄
王位戦:
第19期、22期 大山康晴
棋王戦:
第8期、第15期 大山康晴
王将戦:
第26期、29~32期 大山康晴
第72期 羽生善治
棋聖戦:
第24~31期 大山康晴
第40期 二上達也
昭和の両巨頭である升田、大山はさすがとしか言えないが、羽生、大山に続くタイトル64期を誇る中原誠十六世名人をもってしても、50代でのタイトル戦出場は実現できなかった。
終生名人制から実力制名人戦へ
世代を超えたタイトル戦について、改めて振り返ってみたい。
将棋のタイトル戦は1937年12月6日に決着した第1期名人戦が始まりといえるが、それ以前でも、現在のタイトル戦における世代対決のような構図はあった。
1898年、当時68歳の小野五平が十二世名人に就く。ところが30歳の指し盛りを迎えていた関根金次郎がそれに異を唱えて、小野に挑戦状を送った。
「小生は貴方の名人位を不服と思うものである。果たして貴方が天下無敵であるべきはずの名人位に値するだろうか、論より証拠、私と争い、将棋によってそれを決せられたい」