戦前は木村の最強時代が続いたが、戦後すぐの名人戦で木村は9歳下の塚田正夫に名人を奪われる。2年後に取り返したのはさすがだが、すでに木村の次の世代が台頭してきた。木村より13歳下の升田幸三、18歳下の大山康晴である。升田は木村を破って初代王将を、大山は木村から名人を奪取した。戦後の将棋界は升田、大山の兄弟弟子対決が注目を集め、黄金期へ向かうことになる。
この兄弟弟子対決は、徐々に弟弟子の大山が圧倒していった。さらに新たな世代である二上達也や加藤一二三も大山の牙城に挑んだが、ことごとく跳ね返された。
年齢差は24歳、20回も行われた大山―中原戦
大山時代を終わらせたのは24歳年下の中原誠である。両者がタイトル戦で初めてぶつかったのは1968年の第13期棋聖戦。中原棋聖に四冠を持つ大山が挑戦したシリーズだ。史上初めて、年齢差20以上のタイトル戦が実現した。
この棋聖戦は3勝1敗で中原が防衛した。これ以前にも大山がタイトル戦で後輩に負かされたケースはいくつかあったが、タイトル戦初対決で敗れたのは対中原戦が初めて。ここからしばらく、大山・中原2強時代が続いたが、1972年の第31期名人戦で中原が大山を破って名人を獲得したことで、名実ともに中原時代の到来となった。
大山は中原にはどうにも分が悪かった。例えば通算16期を獲得した棋聖戦では第24期(中原に名人を奪われた2年後)からでも7連覇しているが、棋聖戦五番勝負の舞台で大山は中原に一度も勝っていない。大山-中原戦のタイトル戦は20回行われているが、結果は中原の16勝4敗。公式戦の全対決も中原の107勝55敗とダブルスコアがついている。
しかしこの数字は24歳という年齢差を考えれば当たり前というべきだろうか。なんと大山は中原のライバルである加藤一二三と米長邦雄に対してそれぞれ、79勝46敗(タイトル戦は7勝1敗)、58勝46敗(タイトル戦は4勝2敗)と勝ち越しているのである。こちらの数字の方が超人的だ。なお大山と加藤の年齢差が17、米長とは20歳差である。
中でも1980年~82年に行われた第29~31期王将戦七番勝負が白眉だ。第29期に56歳で加藤王将に挑戦した大山は4勝2敗で奪取。56歳でのタイトル奪取は史上最高齢の記録である。そして第30期では米長を相手に、第31期では中原を相手にそれぞれ防衛。58歳でのタイトル防衛(獲得)も当然ながら史上最高齢だ。
第32期では米長の挑戦に屈し、1勝4敗で失冠したが、この時大山は60歳の誕生日を目前にしていた。もしあと1勝していたら、空前絶後ともいうべき還暦時点でのタイトル保持が実現していたかもしれない。