金曜レギュラーだった俳優・作家の安部譲二さんと仲が良く、彼の家で開かれたホームパーティーによく遊びに行っていた。そこで安部さんは、小さな松茸1本で6人前の松茸ご飯を作る高見さんの料理の腕前を目にして感嘆したという。
この『追跡』がNHKの『スタジオパークからこんにちは』(’95年)の司会にも繋がり、高見さんは“アイドルから司会”の元祖的存在になって行く。
2001年に国際結婚、2003年に沖縄移住、2018年に故郷に帰り…波瀾万丈だったこの20年
そんな順風満帆な芸能生活のさなか、2001年にアメリカ人と結婚。芸能活動を休止し、夫が経営する沖縄のメキシコ料理店を手伝うため沖縄に移住。一男ももうけた。
その後、離婚を経て2018年に故郷の愛媛県に戻り、母親の介護をしつつ芸能活動も再開。そこで無所属の永江孝子参院議員の誘いを受け、2022年夏の参院選に立候補するも落選。しかし、落選後も再選に意欲を燃やしていた。
生来極度の人見知りながら、アイドル歌手としてブレイクし、女優や司会、CM、お笑いに至るまでマルチに活躍。芸能よりも夫婦生活や子育て、親の介護を優先させるなど、まさに常に“一般人のスタンス”を持ち続けた稀有な芸能人といえるだろう。その庶民感覚から政治の世界へ……の矢先の逝去は、ご本人も無念だったのではないか。
ただ、そんな多岐にわたる彼女の活躍をこうして振り返っても、やはり筆者は「GORO」や「写楽」の健康美溢れるグラビアが忘れられない。初恋というわけでもないが、アイドルとして活躍していた当時の鮮烈な記憶があるだけに、強い喪失感にかられる。今はただ、「素敵な想い出をありがとうございました」と、高見さんに言いたい。謹んでご冥福をお祈りします。