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――“漢のカワサキ”という言葉についてはどう思われますか。

桐野 開発の根底に流れるDNAは、そういった部分だと思うんです。1台のオートバイを開発するにあたって、コストの制約からいろいろな取捨選択が必要になる。「この性能差と価格差を考えたら、こっちを取ろう」といって捨てずに残し続けてきたのが、高出力や最高速だったと。

 いまはカーボンニュートラルも求められていますから、従来のDNAを捨てずにそうした技術も追求しています。

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女性が進出したことで会社も変わっていった

――カワサキモータースフランスへの出向は初の女性社員の海外駐在でもあったそうですが、良くも悪くも“女性初”といった部分は際立ちますよね。

桐野 そのあたりは「できるだけ気にしないようにしていた」のが本音ですね。私が入った頃は、建物によっては女性用トイレがなかったりする時代でもあったのでね。良くも悪くも女性が目立ってしまっていたところがありました。

 そういうなかで「普通にならないかな」とは思う場面もありましたけど、いまはまったくないですね。すごく変わったと思いますよ。

 

――桐野さんが“普通の会社”に変えていった自負みたいなものはありますか。

桐野 先輩方はどう捉えているかわからないですけど、私が変えたのではなくて女性たちが進出したことで会社が対応せざるをえなくなっただけだと思います。

 たとえば私が入社して西明石の工場に配属された際には、男子寮しかなかったから女子寮を用意しなくてはいけなかったんです。女性を採用して配属するからには、女子寮が必要だなと。さらには更衣室もいる、トイレもいると、ひとつずつ対応していった結果なんだろうなって。

――お話をうかがって、やはり桐野さんがバイクの仕事に就くのは必然だった気がします。

桐野 でも、大学に入った頃は就職する気もなくて、できるだけいい人を見つけて専業主婦になろうなんて考えてました。「女の子は商品だから」と言い聞かされて育ったので、そういう思考になってしまっていたんですよ。

 それがこうですからね(笑)。自分でも驚いています。

 

写真=三宅史郎/文藝春秋

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