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――川崎重工以外にも受けた会社はありますか。

桐野 やっぱり車も好きだったので、自動車会社にも行きたくて某メーカーに資料請求したんですけど、送られてこなかったんです。「女性を採るつもりがないのかな。じゃあ、しょうがないや」って。喜んで迎えていただけるところじゃないと入ってからも難しいだろうなと思って、そちらは早々にあきらめました。

 一方の川崎重工からはすぐに資料が届いて、OBの方に呼ばれて、いろいろとお話も聞かせてくれて。やっぱり嬉しかったですよ。

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営業→海外PR部門→女性社員初の海外駐在でフランスへ

――1991年に川崎重工に入社。オートバイ部門に配属されましたが、桐野さんはどういった部署を望んでいたのでしょう。

桐野 弊社は3つ希望を出して、そのうちの1つは絶対に叶うようにしてくれているらしいんです。ひとつ目がオートバイや船や電車などの「製品」、ふたつ目が「勤務地」、みっつ目が営業職や企画職や設計などの「職種」。私の希望が叶ったのは「職種」で、オートバイの営業に決まったんですね。といっても製品に関しては、オートバイは希望していなかったんですけど。

 

 まず営業を数年して、その後は海外向けPRの部門に移って新しいモデルの情報を取りまとめたり、カタログを作ったり、写真を撮影したりしながら、販売できる状態を整える仕事をしていました。両方合わせて10年ぐらい川崎重工にいて、2001年にフランス現地販売法人のカワサキモータースフランスへ出向したんです。

――すでに当時のヨーロッパでは、カワサキの名は浸透していたのですか。

桐野 フランスの24時間耐久レース、ルマンとボルドールでカワサキは優勝していて有名だったんです。もうひとつ大きかったのが、自転車ロードレースのツール・ド・フランスにカワサキが並走車を出していたことなんですよ。これで子どもから年配の方々にまで、カワサキの存在を知ってもらえるようになっていったんですね。

 

社長となった現在も愛車でツーリングすることが楽しみ

――大学でバイクにハマって、川崎重工に入って以降はバイクの仕事一筋。非常に幸せな気がしてならないのですが、2021年10月にカワサキモータースジャパンの社長となってからもプライベートでバイクには……?

桐野 基本的に私は一人でオートバイに乗ることがなくて、仲間とツーリングするんですね。仲間とは年に3回ぐらい泊りがけでツーリングに出ていたんですけど、コロナがきっかけとなってちょっとね。

 

 オートバイ自体はコロナと関係はないんですけれども、何人かで集まって泊まるというのが“密”の問題と関わってくるので「やめておこうか」的な感じになって。2022年は1回もツーリングできなかったですね。仲間とスケジュールが合わないところもあったので。