――そうしたお母さんが車を買ってくれるのは意外な気が。
桐野 北海道なので、冬になると自転車なんかでは動けなくなりますから。でも、オートバイに乗るのは許そうとはしませんでしたね。川崎重工に入ってヘリコプターの免許を取ろうとした時も大騒ぎされました。岐阜の工場でBK117ってヘリコプターが作られて、それを操縦したくなって免許を取ろうとしたら、ものすごくお金がかかるとわかって。母にお金を貸してもらおうとしたら「絶対に貸さない!」と断られて、さすがにあきらめましたね。
ただ、乗り物が好きなことに関しては干渉されなかったですね。私はお人形とかぬいぐるみではなく、スーパーカーのカードなんかを集めるのが好きな子どもでしたけど。ランボルギーニの400GTが大好きで、LP500が出た時に「100馬力も一気に上がるんだ!」とか騒いでました。あと、「大人になって働くようになったら絶対にセリカを買って乗るんだ」と夢見てもいましたね。
店員に勧められたのがカワサキGPX250Rとの出会い
――念願叶って東京に出て、すぐさまバイクか車に?
桐野 車の免許を18歳で取って、オートバイは20歳で取りました。それで大学2年か3年の時に、玉川高島屋でバイトして貯めたお金で2気筒のGPX250Rを買ったんです。最初はぜんぜん違うオートバイを買う予定だったけど、お店の方に「これにしなよ」と勧められて買ったんです。
オートバイに乗るまでは、いろんなサークルに入ってみたんですけど、しっくりくるものがなかった。なにかないかなと探していて、時間のある大学生のうちにオートバイの免許を取ってみようと思って。取ったら、今度はオートバイを買ってみようかなって。そうしたら楽しくて楽しくて、当時は毎日ひとりで乗り回していました。
――バイクを買いに行ったお話ですけど、お目当ての車種は?
桐野 実は別メーカーのオートバイを買うつもりでお店に行ったんですよ。4気筒400ccで、カラーはホワイト。でも、お店の方に「免許取ったばっかりで400ccに乗れるわけないよ。これにしなよ」と言われて、ブラックのGPX250Rに。少し経ってから大型の免許を取りましたけども。
社会貢献を目指して川崎重工に入社したら…
――バイクに乗るようになったことで、そちらの方面の仕事に就こうと。
桐野 そういう気持ちはまったくなかったんです。留学じゃないんですけど、ペルシャ語を専攻しているので、学生時代にイランに2、3回行っているんです。その帰りにトルコに寄って、路線バスを乗り継いでいろいろ見て回っていこうとしたら、上品なトルコ人男性に「どこ行くの?」と声を掛けられました。会話のなかで「ボスポラス海峡の橋を見ていきなさい」「1本目はイギリスの会社が架けた、2本目は日本の会社が架けたんだよ」と教えてくれたので見に行ったら、圧倒されてしまいまして。大きさや長さもさることながら、ヨーロッパとアジアを繋いでいる点も含めて、すごいなと。
その橋を目にして、社会に役立つ仕事がしたいなと。橋を架けるのが困難なところに橋を架ける。飲める水がないところを、水を飲める状態にする。そういう仕事をしようと思って川崎重工を受けたら、オートバイ部門の営業に配属されました(笑)。