少し前、姉を蹴とばしたところ、変な顔をして目を覚ましたので「強盗だよ」と言って、手まねで声を出すなと教えた。男が出て行ってしばらくして、妹が「おしっこしたいが、便所へ行くのが怖い」と言うので、午前3時ごろまで我慢させてから、部屋の隅にあった丹前にさせた。
その時、妹がふすまの隙間から八畳間を見て「みんな殺されてる!」と叫んだ。びっくりして、姉が「(支店預金貸付係の)岩倉(克己)さんに知らせよう」と六畳間の窓を開けて飛び出したので、妹を残して私も後を追って外に出て岩倉さんに知らせた。〉
「八畳間はさながら血の海で凄惨を極めている」
実際には富沢支店長はまだ生存しており、病院に運ばれた後、4月3日付道新朝刊によると、2日午前9時40分ごろ死亡した。同じ記事には現場の模様がこう書かれている。
「八畳間はさながら血の海で凄惨を極めている。支店長富沢さんら6人の死体は道路に面した壁際に顔を向けて、布団の上に一様に首を回されているのも無残なありさま。血まみれの布団の上には長靴らしい足跡が二十数個入り乱れていたが、犯人逮捕の手がかりとなるものとしては、七女・雅子さんの左手に引っかかっていたガーゼマスクと、血にまみれた1本の注射器が六女・壽子さんの右足の脇に投げ捨てられていた」
「北海道警察史第2(昭和編)」に書かれたやりとりを読むと、犯人が騒がれることを最も恐れていることが分かる。それに対して、支店長夫妻や支店長代理夫妻はことを荒立てないように腐心しているようだ。
男が2人いて全く抵抗する姿勢を見せていないのは、男が刃物を持っていたこと以上に、子どもたちに危害が加えられないようにと考えたためだろう。銀行に強盗に対処するマニュアルがあったのかもしれない。
4月8日付北海日日のインタビューで、三女美登里は「父と犯人の間に殺さぬこと、騒がぬことを約束して予定の行動に入ったようです」と語っている。彼女は途中で父親が「泥棒、約束が違う」という意味の言葉を漏らしたのを聞いているが、それもその推測を裏付ける。
それだけでなく、金庫の金の取り出し方など、新聞の「銀行ギャング」という表現とはかなり印象が違う。1つの鍵は男が口走った「この金は届けなければならない。届けたら青年のために……」という言葉。男はなにか、社会的・公益的な金が必要という理由をつけていたのではないだろうか。