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 発生直後とはいえ、この記事には不正確な点がある。被害金額が見出しでは105万円(現在の約880万円)なのに、本文では80万円(同約670万円)。実際は約106万円(同約884万円)だった。

 札幌が本拠だったもう1つの地元紙「北海タイムス」(北タイ)も同じ2日発行3日付夕刊で「今曉(暁)・美深に六人殺し 浅春血に彩られた拓銀支店 支店長ら襲い日本刀で滅多斬り」の見出しで報道。

 在京紙の朝日、読売も同じ日付で報じているが、「麻酔薬をかがせた」点など、犯行の模様や富沢家の家族構成などが微妙に異なる。警察の正史である「北海道警察史第2(昭和編)」の記述を要約してみよう。

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日付が変わり寝静まった頃、犯人はやってきた

 富沢支店長一家は、夫妻と次女・勇美子(22)、三女・美登里(20)、四女・壽美子(17)、五女・壽子(10)、六女・雅子(8)の7人暮らし。同書にはそうなっているが、その後の新聞記事などを見ると、壽美子と壽子の間に五女・百合子がおり、壽子は六女、雅子は七女になるようだ。

「在りし日の富沢家姉妹」。前列左端が殺害された六女・壽子、右から2人目が七女・雅子(北海タイムス)

 事件当時、百合子は長女・美和子と一緒に母親の実家に行っていたらしい。美和子は旭川市の薬局勤務で家を出ていた。祝賀会は支店長宅の八畳間で行われ、支店長代理と預金貸付係の行員ら7人と招待した前支店長が出席。和気あいあいのうちに午後11時ごろ解散した。

 支店長宅では娘たちに手伝わせて後片付けをし、玄関や裏口の戸締まりをした後、夫妻は趣味の尺八と琴を演奏するなど一家団欒。午前0時15分ごろ就寝した。上の娘3人は奥六畳間に、夫妻と下の娘2人は八畳間で床に就いた。犯人が侵入したのは午前1時ころ。支店事務室横のマキ小屋の破れた板壁からだった。

現場見取図(北海タイムス)

 同書は生き残った三女・美登里の証言に基づいて事件当時の状況を記す。以下はその証言による。

「金庫のお金なんか出せない」生き残った三女の証言…語られる“あの夜”

〈同時刻ごろ、飼っていたテリア犬が2回ぐらいほえたので目を覚ました。ちょっと頭を上げて見ると、次女の床の中にいたはずの犬がふすまを開けて父たちの寝ている部屋へ行っていて、間のふすまが2センチくらい開いている。

 のぞいて見てびっくりした。刀のようなものが光って、誰か低く細い男の声が聞こえる。男の姿は机の陰になっていて見えないが、廊下と座敷の間あたりに立っているようだ。何か父に話している。犬が自分たちの部屋に戻ってきたので、声を出さないように押さえると、父がふすまを閉めた。