今回取り上げる「鈴辨(弁)殺し」(1919年)は「山憲事件」や「信濃川バラバラ事件」とも呼ばれる。当時大々的に報道されて社会問題となり、大正時代を代表する事件の1つとされる。
中身を見ていくと、猟奇的な中にさまざまな時代的要素がひしめき合っているのが分かる。
前年に米騒動を引き起こした米価の暴騰と巨利を得た「成金」に庶民の怒りがくすぶる中、当時は希少だった「学士さま」(大学卒者)の農商務省(当時)エリート官僚が、コメの輸入業者と癒着した揚げ句、借金返済のもつれから後輩学士と共謀して業者を殺害。バラバラにしたうえ、トランクに入れて後輩らに信濃川に投棄させた。日本犯罪史上、最初のバラバラ事件ともいわれる。
さらに、完全犯罪をもくろんで、トラベルミステリーばりの鉄道を使った広域隠蔽工作までも。「活動写真(映画)のような犯罪」といわれた。世間の「成金」への憎悪から主犯には同情も集まり、演歌や大道芸の口上歌にも。公判では動機を「奸商(悪徳商人)退治」とする主張もあった。
緻密なようでずさんな計画、身勝手で刹那的な犯行、事件とは無関係なプライバシーまで書き立てる報道……。そこには1世紀の時空を超えた「現代」を感じる。今回も、当時の新聞記事を適宜現代文に直し、文章を整理。差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。
トランクに入った“胴体だけの男の死体”が…
事件が発覚したのは1919(大正8)年6月6日。新聞の第一報は新潟県の地元紙・新潟新聞(新潟日報の前身の1つ)の6月7日発行8日付夕刊の次のような記事だった。
両手両足を切取りし首無し死體(体) 大河津沿岸に於て發(発)見 判檢(検)事刑事の一大活動
悪魔の所業か、鬼畜の行為か、人間業とも思えない、真に戦慄すべき一惨劇は突如として発見された。6日午後4時半ごろ、(新潟県)三島郡大河津村、字町軽井地先の信濃川に年齢50歳前後の男の、首と両足、両手を切断された死体をトランクに入れた物が漂着した。何分県下ではいまだかつてない重大事件であり、この急報に接すると寺泊警察分署と与板警察分署から各係官が急行。県警察部からは奈良警部が同夜、直ちに数名の刑事を率いて現場に出張し、新潟裁判所からは長岡予審判事、中島検事が出張した。
死体は巡査と村民に張り番をさせて通行人を近寄らせなかった。
実際にトランクに入っていたのはバラバラにしたうちの胴体と両腕だった。では、全国紙はどうだったか、と調べても見当らない。のちに時代を代表する大事件と騒がれるようになったが、発生時は地方の事件として東京の新聞に載らなかったようだ。
新潟新聞以外で事件が紙面に登場したのは3日後の6月11日朝刊。しかし、東京ではなく大阪の毎日新聞であり、事件の性格も違う。