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連載大正事件史

首と足を切り取られた胴体だけの死体がトランクに…信濃川で発見された日本犯罪史上初のバラバラ殺人

「鈴辨殺し」#1

2022/06/12
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「新潟の豪農の家に生まれ…」山田憲の経歴

 当時は新聞紙法による言論統制があり、「安寧秩序」「風俗紊乱(びんらん)」を理由に内務大臣が新聞記事の掲載を禁じることができた。違反した場合は罰金が課せられた。

 ただ、「バラバラ死体発見」の段階では被害者の身元も容疑者も不明で、記事を差し止める理由がない。罰金を食らったのは、エリート官僚の関与が浮上したこの13日付國民の記事と翌14日の東日号外のことだと思われる。

 奇妙なのは、國民と同じ6月13日付朝刊では、報知新聞が社会面の大半を使って「外米豪商鈴辨の主人 突如行方不明となる」「農商務技師 山田憲氏拘引」の見出しを立てて報じていること。

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 家宅捜索は、外米の買い占め、売り惜しみに関連すると伝えられているが、最もいぶかしいのは、鈴木辨蔵が5月31日から消息不明で、本人名義の短い電報が届いていることだとした。

 明らかに辨蔵が何らかの事件に巻き込まれ、それに山田憲が関連している可能性を視野に入れている書き方。報知は罰金を食らわなかったのだろうか。

 山田憲の経歴については東日が詳しい。

「新潟県南蒲原郡中島村字中條の豪農の家に生まれ、大正5年、農科大学=東京帝大農科大学(現東大農学部)を卒業して農商務省の技師となった。昨年、米暴動の際にはラングーン(現ヤンゴン)、サイゴン(現ホーチ・ミン)など、外米の産地に出張して買い付けをし、8月に帰国。以来月2~3回は九州、関西方面の農会に出張しており、今回また神戸方面に出張していた」

 さらに東日には「省中で若手の敏腕家」という記事も。「山田を熟知する農商務省の某高官」の談話として次のように書いている。

 山田は誰に聞いても分かるが、性質恬淡(物事に執着せずあっさりしている)、むしろ蛮的な豪壮な男だ。駒場時代から『山憲』とあだ名され、野球も柔道も、暴れごとにかけて一頭地を抜き、農商務省でも柔道団をつくり、その牛耳を執って(同盟の盟主となる)いた。新潟県人で恒産(一定の資産)もあり、先ごろまで独身でいたが、老母がガンを長く患い、近ごろ重体で入院中なので、以前から話のあった某農学博士の令嬢とさる4月、急に結婚した。しかし、公然の披露はまだしていない。

 何しろ外米の調査にかけては農商務省中、若手で彼くらい分かる男はなく、先般インドに行ったときは、シャツ1枚になってクーリーと一緒になって調査した結果、大成績を挙げた。その他の公務も見事な手腕で、近くサイゴン方面に出張すべく内命を受けていた。恒産はあり、豪壮の彼が私欲的な行動に陥るとは誰も信じられないところだが、才物はとかく魔が差すことがあるから何とも分からない。