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連載大正事件史

首と足を切り取られた胴体だけの死体がトランクに…信濃川で発見された日本犯罪史上初のバラバラ殺人

「鈴辨殺し」#1

2022/06/12
note

「読む者を戦慄、驚倒させずにはおかない」殺人 

 憲の「結婚」相手の父は「某農学博士」となっているが、その後の報道や「警視庁史 大正編」によれば、静岡県選出の元衆院議員で、辨蔵とは旧知の間柄。彼が2人を引き合わせたという。

 翌6月14日、東日は2ページの号外を発行した。事実関係に誤りもあるが、被害者、容疑者についてのサイド記事もそろって、続報ながら完璧な特ダネだ。

稀代の大犯罪!!! 山田農商務省技師等 鈴辨主人を惨殺す

共犯は渡邊農学士、山田米店主 鈴辨は横濱の百万長者なり

 既報のように農商務省技師、農学士・山田憲(30)が休職のうえ、東京監獄に収監されたことについては、しばらく「外米に関する不正事件」としてのみ掲載していたが、ようやく事件の真相を発表することができる時期に到達した。げに(実に)彼とその一味の者の犯した世にも恐ろしい殺人犯(罪)は、読む者を戦慄、驚倒させずにはおかない。

完璧な特ダネとなった東京日日の号外

 抜きネタであることを意識してか、相当大げさな書きぶり。記事は続く。

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「生来強欲の男で、利益のためには身命を賭すことも辞さないほど」

 元々山田は大正5年、東大農科を卒業するとすぐに農商務省の外米課勤務となっていた。昨年夏、米価高騰問題が起きると、サイゴン、ラングーン、トンキン=フランス領インドシナの一部(現ベトナム)=方面へ出張して、帰朝以来職務上の関係から幾多の外米商に応接することになったが、そのうちに横浜市太田町1ノ22、米穀商・鈴木辨蔵(65)という者があった。鈴木は巨万の富を有し、ことに外米買い占めで大きな利益を博して百万長者の名を得たが、生来強欲の男で、利益のためには身命を賭すことも辞さないほど。同業者の間には「ズル辨」のあだ名で知られるぐらいだった。

 鈴木は一度山田憲と面接すると、憲の役人に似合わずなかなかの切れ者であることを知り、これを利用してひともうけしようと、憲がまだ森元町に住んでいたころ、夜ひそかに訪問し、相提携して外米の買い占めをしようと申し入れたところ、利にさとい憲はすぐ鈴木の要求を受け入れた。以後、たびたび密会。憲は農商務省の外米輸入の秘密を鈴木に漏らし、鈴木はまたその利益を憲に分配した。その金額は今春から今日までに数回、数十万円に及ぶ。しかし「悪銭身につかず」、憲はせっかく鈴木と共同して得た大金は相場に手を出して損失し去った。一方、府下荏原郡大崎町字上大崎に移転。家賃なども下級奏任官に不似合いの60円(現在の約9万円)を支払い、生活ぶりも著しくぜいたくに流れたことから懐具合がいよいよ苦しくなった。

 奏任官とは当時の文官の階級で上から3番目。高等官3~8等相当の中堅官僚。現在の汚職事件でもその土壌となる官僚と業者の癒着が進み、法令違反に問われるような不当利得を得ていたことになる。そして、東日号外の記事は事件の核心に入っていく。

(山田憲は)ここに悪心を起こし、鈴木がかねてより外米指定商になることを希望していることを奇貨(めったにない機会)として5万円(現在の約7700万円)を出せば、上司に運動して日頃の希望が達せられるようにする旨、鈴木に申し送った。神ならぬ身の鈴木はだまされるとは露知らず憲の言葉を信じ5月31日、横浜を出て鈴木商店東京支店支配人から100円紙幣で5万円を受け取り、それを懐に憲の私宅を訪ねた。31日午後7時ごろのことだった。