「外米輸入商家宅捜索 横濱(浜)鈴木辨蔵商店取り調らる」の見出しで、横浜地方裁判所検事局が10日、外米輸入商「鈴木辨蔵商店」と横浜市内の同商店東京支店主任宅を家宅捜索。帳簿などを押収したと記述。
「同商店は昨年中、汽船でサイゴン米2万袋を輸入。その他、浅野物産、湯浅商店などから多量の外米を買い込んだが、この間、世間の注目を避けるため、東京支店その他の名義を用い、買い占め、売り惜しみの暴利取締令に触れる行為をした疑いがある」と書いた。
この時点で警察は、信濃川のバラバラ事件の被害者が鈴木辨蔵であることを把握しており、容疑者3人とも身柄を確保していた。実際はその事件での家宅捜索だったが、警察側が別の経済事犯絡みと思わせたのか、新聞が勝手にそう思い込んだのか――。
「怪しいトランク信濃川に漂流す」との急電が…
翌々日の6月13日付朝刊では、数紙が「農商務省技師収監」を報じるが、東京日日の主見出し「山田技師収監さる 外米關(関)係の不正事件」で分かるように、殺人事件ではなく「事件は外米に関する不正なり」(同紙)とした新聞が多かった。
中で國民新聞は「驚死すべき空前の大事件 外米課技師収監 ???續(続)いて横濱(浜)の米商 鈴木辨蔵の行方不明」と、次のようにもっと異常な事件であることをにおわせた。
農商務省臨時米穀管理部外米課技師、農学士・山田憲氏は9日、突然文官分限令第11条第1項第4号で休職を命ぜられ、即時警視庁の手を経て収監された。事件の内容については、農商務省、警視庁をはじめ、各方面ことごとく口を箝して(つぐんで)秘密を語らないが、事件は重大、複雑なもので10日、最終列車で出発した鈴木農務書記官の神戸訪問出張も、この事件に関連しているといわれる。
記事の冒頭はこうだが、同じ紙面の左端に突っ込んだ形で「あゝ(あ)外米商鈴木辨蔵 何故(なにゆえ)の行方不明ぞ、何故(なにゆえ)の所在不明ぞ」が見出しの記事が。
「横浜市太田町1ノ22、米穀商・鈴木辨蔵氏(65)は今月初めごろから突然行方不明となり、家人はその行方を捜索中ということだ。氏の家出については種々の風説があるが、昨年来ラングーン米の買い占めをするに際し、ある関係の暴露に関するものらしいという」
結果的に動機は違ったが、実質的に特ダネといっていい。
この事件について植原路郎「明治・大正・昭和大事件怪事件誌」(1932年)は「米騒動勃発以来、米価に関する事件頻発の折柄『怪しいトランク信濃川に漂流す』との急電が新潟通信部から國民新聞編集局へ到着したのは大正8年初夏のことであった。この特電は警視庁に入るのよりも確かに2時間は早かった」と記述。「第一報の『國民』号外は400円(現在の約62万円)の罰金を仰せつかり、これに懲りず報道機関を誇った『東京日日』の号外は1000円(同約154万円)の罰金を申しつけられた」と書いている。