先のWindows 95での盛り上がりから8年経ってなお、ネットと社会との間の緊張関係は大きな摩擦熱を生みながらも期待感を持ってどんどん便利にネットが使える環境へと進んでいったのが特徴的でした。ネットバブルの崩壊があってなお、多くの若者がデジタルの未来を信じて起業したり、さまざまなサービスやアクティビティでネットを盛り上げ、現在の「ネットはあって当たり前」という状況に繋がっていったのは感慨深いものがあります。
まあまあ安全で自由なネットを謳歌した私らこそ
ネット社会という点では、日本での当時のガリバーは誰もが知っているヤフーであり、みんなそこにぶら下がっていろんなネットサービスを展開するのが当たり前だと思っていました。
そこから20年経って、GAFAMやビッグテック、テックジャイアントと呼ばれるようなプラットフォーム業界の萌芽のようなものがすでに生まれていました。亡くなられた井上雅博さんや、日本のインターネットの父とも呼ばれる村井純さんといった人たちの物語もすでに始まっていました。結構みんな、純粋にインターネットの未来を信じていたし、根っこのところでネットが好きだから良かれと思って何かいいことをしてやろうという思いが、共通して流れていたんじゃないかと感じます。
私はと言えば、2ちゃんねるやって、ゲーム作るの手伝って、いろんな会社に投資して、激しく必死だったけど総じて楽しかったですね。ネットに関わるほぼすべての人が、みんなどこかイカレていて滅茶苦茶で、対応に右往左往しているのがまた面白くて、この20年のネット人生は悔いなし、ですよ。やりたいことは、やりたいようにやらせていただいてきました。
そりゃ上手くいかないことや腹立つことも多いけど、それでもネットのなかったころの社会に比べれば、きちんと理屈と根拠をつければ言いたいことをしっかり言える社会のほうが健全に決まっています。
だからこそ、いままでの20年のまあまあ安全で自由なネットを謳歌した私らこそが、次の20年もこれからネットと共に歩んでいく日本人のために、まあまあ安全で自由なネットを維持していくことが使命として課せられているんだと思うんですよね。それが、20年ネットで生きた証だろうと感じます。
次の20年は、2043年。その40年を振り返って、70歳になった私が「ワイが楽しんだ30歳のころのネットは」ってクソみたいな武勇伝喋りたいじゃないですか。嫌な顔ひとつせずジジイの話を聞いてくれるAI相手に。