中学受験に成功した私は、進学したかった某御三家を親に諦めさせられ、金満坊主が放し飼いになっていると評判の慶應義塾中等部(中学)に進学させられました。当時はバブル前夜、空前の金満ワールドの幕開けでして、事業を営んでいた父親は、息子である私に「いいか。お前が東京大学に入ろうが、優れた技術者になろうが、そんなものは何の役にも立たない。そんな連中はカネで雇えばいいんだ」といって、小学校のころから大好きだった生き物の飼育箱や顕微鏡などの観察キットを取り上げました。
「お前はカネを稼ぐために慶應に行け」
いま思うと、中学入学から始まる長い反抗期とともに、パソコンに傾注していく青春を決定づけられた気がします。「お前は御三家を目指せ」と勉強させられて、無事御三家に合格したのに「お前はカネを稼ぐために慶應に行け」っていうわけですからね。そりゃグレますよ。そして、そのまま中等部では同級生を殴って問題児とされる傍ら、課外活動では数学研究会に在籍。金持ちぞろいの先輩同級生後輩に囲まれながら、素敵なパソコンとの暮らしが始まるわけです。
自宅には、受験時代に通っていた四谷大塚が毎週やる模試で「成績が10番以内に入ったらパソコンを買ってやる」と言われて奮起して見事1,000人中5番の成績を2週立て続けに取り、買ってもらったPC-8001mkIIがありました。大好きでした、8001。プログラミング言語「BASIC」との出会い。N80-BASICで悪戦苦闘しながら自分の名前をプリントアウトできるプログラムを作り、カセットテープにプログラムを残して、地元のパソコンショップに行って、気の良い店主に「おじさん、これ、プリンターから打ち出してほしいんですけど!」と塾帰りの一つのレクリエーションになっていたのであります。
パソコン少年なら誰しもが通る、「マイコンbasic magazine」(通称「ベーマガ」)に掲載されていたゲームプログラムをパソコンの中に写経し、自分なりに改造し、楽しむ。わずかなお小遣いを溜めてPC用ゲームを買い、カセットテープからプログラムをダウンロードして楽しんだ「サラダの国のトマト姫」「聖剣伝説」「マリオブラザーズ」「南極物語」そして「信長の野望」。