「甲斐家は何百年か知りませんが、代々この場所に住んできました。ここは崩れないと伝えられてきたのに、歴史上初めてのことだと思います。それだけ大きな自然災害が発生する時代になったのか。いつもは車を庭にとめていたので、もし避難していなかったら、車ごと崩れ落ちていました」と話す。
町役場は、こうした被災情報をすぐには集められなかった。電話が不通になってしまったからだ。
役場の総務課で災害対応に当たっていた宮崎孔輝さん(地域情報グループ)は、「被害が発生したら、すぐに各地区の公民館長から役場に電話があります。ところが、風雨が強くなった18日の夜から、役場の電話はパッタリ鳴らなくなりました。つながらなくなっていたのです。光ケーブルが断裂したのか、インターネットもダメでした。かろうじて携帯電話はつながったり、つながらなかったりで、こうした状態はまる1日程度続きました。19日朝から職員が町内に散らばり、ようやく情報が集まってきました」と話す。
それから約1週間の調査で、建物、町道、田畑、河川などに705カ所の被害があったと判明した。その後に見つかった被災箇所を含めると、被害はさらに大きいと見られる。
人への被害がなかったのが、せめてもの救いだった。
「道路は川のようになり、家は1mほど土砂に埋まった」
山間部に集落が点在する五ヶ瀬町では、平野部では想像もできないような災害が起きる。床下浸水も、河川があふれたり、雨水がはけなくなったりして、床下が浸かり、また引いていくという形ではない。
住家の被害調査に当たった町役場の町民課、岡田真悟さん(税務グループ)は、「5軒ほどの集落での例です。上流の橋から水があふれ、道路が川のようになりました。道がえぐれて土石流のようになって駆け下ります。集落の一番下にある家は1mほどの土砂に埋まりました。ただ、倉庫が押し流されただけで、住家へのダメージはありませんでした。土砂と一緒に流れてきた水が床下へ入ったので、被害としては『床下浸水』になりました」と解説する。
岡田さんは「農地の被害も、段々になった田畑が同時多発的に崩れた場所もあります」と言う。