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土砂に埋まってしまった大切な牛たち。果たして…

 この農家も冒頭の甲斐さんと同じく、早めに避難していたという。だが、避難所から帰ろうにも、道が被災していてなかなか帰宅できなかった。何とかたどり着いた時に目にしたのは、土砂崩れに押しつぶされた牛舎だった。

「母牛3頭、子牛2頭を飼っていたのですが、瓦礫を取り除くには、1日では済まなかったようです」と町役場の農政担当者が語る。

 ようやく牛を掘り出した時、母牛3頭は死んでいた。子牛も1頭は息がなかった。しかし、もう1頭の子牛は生きていて、農家が大事に飼っている。奇跡のような話だ。

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 高千穂町で多くの人が思い出す台風災害は、2005年の台風14号だ。この時は町内で約700mmの雨量となった地区もあり、土砂崩れが民家を襲うなどして5人が犠牲になった。

 旧国鉄高千穂線を引き継いだ第三セクターの「高千穂鉄道」も、橋梁の流失や築堤の崩壊で復旧を断念し、廃線になった。

旧高千穂鉄道の線路。被災後の廃線は衝撃だった(高千穂町)©葉上太郎

「これに次ぐ災害規模です」と、町役場の総務課、矢津田一馬さん(消防防災係)は話す。復旧工事に国の補助が必要な農地は201カ所、農業施設は93カ所もある。五ヶ瀬町と同じく工事がいつ終わるか見通せないのが実情だ。

17年前の大規模災害と現在の違いとは…?

「2005年の台風災害の時には、皆がまだ若かった。まだ頑張るぞという気持ちがありました。あれから17年が経過し、農家は高齢化して跡取りも少なくなりました。頑張ろうと思っても、体が付いてきません。地域に貢献したいという気持ちはあるのですけれど」と70代の農家が悲しげに語る。

 高千穂町では、観光名所の高千穂峡も被災した。増水で遊歩道の手すりが流されたり、歩道の一部が陥没したりしてしまったのだ。最大の見どころになっている「真名井の滝」までの道は復旧したものの、取材に訪れた時点では、滝より奥の峡谷は立入禁止になっていた。

高千穂峡の流された手すりは復旧されたが、ここから先は通行止めになっていた(高千穂峡)©葉上太郎

 ただし、「観光客の入り込み数は平年並み」(矢津田さん)といい、国内のツアーだけでなく、外国人観光客でも賑わっていた。

 中には被災したことを知らず、「遊歩道は歩けないんですか」と驚く観光客もいた。台風14号による災害が広く知られていないことがプラスに働いているのだろうか。観光は新型コロナウイルス感染症の流行でダメージを受けただけに、客足が遠のかなかったことだけは幸いだ。遊歩道の全線復旧の時期は未定という。

 宮崎県の山間部には、五ヶ瀬町や高千穂町以外にも、同じような被災で苦しむ自治体が多い。

 だが、少し山を下ると、被害は全く別の様相を見せる。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。