日本最南端のスキー場が直面する存続の危機
「虚しいです。今冬オープンできていたら、どれだけ良かったでしょう。そう社員達と話していたんです」
小笠まゆみさん(61)がため息をつく。「五ヶ瀬ハイランドスキー場」(宮崎県五ヶ瀬町)を運営する第三セクターの支配人だ。
「冬でも暖かい南国・宮崎県にスキー場なんてあるの?」と、驚く人がいるかもしれないが、五ヶ瀬町は九州山地の屋根のような場所にあり、冬には最低気温が氷点下になる寒冷地だ。標高の高い奥地では1mほどの雪が積もることもある。五ヶ瀬ハイランドスキー場は日本最南端のスキー場である。
日本海側を中心に豪雪となった今冬。各地のスキー場は降雪量に恵まれて、シーズンの出だしは好調だ。これまでギリギリの経営が続き、廃止論まで出ていた五ヶ瀬ハイランドスキー場にとっては、「起死回生の冬」となるはずだった。
しかし、2022年9月中旬に来襲した台風14号のせいで、アクセス道がズタズタに寸断された。復旧にはまだ手がついていないに等しく、今冬の営業は断念した。いつ再開できるのか。赤字の膨らみで廃止論は再燃しないのか。最南端のスキー場は岐路に立たされている。
それにしても「南国にスキー場を」という発想はどこから出てきたのだろう。
「もともと五ヶ瀬町でスキーをしていた人はほとんどいません。経験者と言えば自衛隊で北海道に配属されたことのある人ぐらいでした」と小笠さんは話す。ただ、わずかではあったが滑れる人もいた。町内で最も雪深い地区でヤマメの養殖に取り組む「やまめの里」の経営者もそのうちの1人だった。
小笠さんはこの人に、熊本県の阿蘇山スキー場へ連れて行ってもらったことがある。1968年に九州で初めてオープンした人工スキー場だ(現在は廃止)。「五ヶ瀬町は熊本県境にあります。『阿蘇でスキーができるなら、五ヶ瀬でも可能ではないか』と、やまめの里の経営者らが独自に調査を始めたのです」と小笠さんが説明する。
候補地となったのは、熊本県境にそびえる向坂山(標高1685m)の頂上近くの斜面だった。阿蘇山より高く、九州山地の山々が見渡せる。
なぜ“南国”宮崎にスキー場が作られたのか?
具現化は行政が引き継ぎ、五ヶ瀬町役場が1980年に調査費を付けた。同年には当時の松形祐堯(まつかた・すけたか)宮崎県知事も視察に訪れた。松形知事は明治の元老・松方正義の孫で、林野庁長官を務めたことから森林やレジャー関連の施策に熱心だった。
それから10年後の1990年、松形知事肝入りの「フォレストピア(森林理想郷)構想」の拠点施設として、また竹下登内閣が発案した「ふるさと創生事業」の一環として、スキー場は完成した。「五ヶ瀬ハイランドスキー場」の名称は公募で決まり、「高原リゾート地を連想させる」というのが選定理由だった。
「農業以外にこれといった産業に乏しい町です。冬期は寒さが厳しいので耕作できません。そうした農業者が冬も現金収入を得られ、出稼ぎに行かなくてよくするための施設でもありました。このため従業員の季節雇用は70~80人。常勤社員は1人しかいません」と小笠さんは話す。