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 人口流出の防波堤とも位置づけられた。戦後間もなくは約9500人の人口を抱えた五ヶ瀬町も、当時の人口は約5600人に減っていた。現在は約3500人しかいない。

 開業当初の五ヶ瀬ハイランドスキー場は賑わった。魅力の一つは天然の雪だ。気温がマイナス10度を下回る日もあるので、サラサラのパウダースノーになる。最南端のスキー場であるにもかかわらず、北海道であるかのような雪質。滑走時に味わえる浮遊感は、九州地区のスキーヤーを魅了した。

 開業から2年目、小笠さんは1年だけ社員として働いたことがある。

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賑わっていた昨シーズンまでのゲレンデ(五ヶ瀬ハイランドスキー場撮影)

最盛期は売り上げが多すぎてレジに入らず、足元の段ボールに紙幣を投げ入れた

 多くの客が押しかけて、息つく暇もなかった。「ストック・ブーツ・板の3点セットの貸し出しや、スキースクールの受け付けを1人で担当しました。あまりに忙しくて応援を呼ぶのですが、事務職までレストランなどの応援に出ていて誰も来てくれません。売り上げはレジに入り切らず、足元に置いた段ボール箱に紙幣を投げ入れ、足で踏んで押さえるような状態でした」と振り返る。

 開業4年目の入場者はこれまで最高の9万1816人を記録した。

 だが、町が100%出資した三セクだけに素人経営だった。開業8年目には赤字額が5000万円に膨らんでしまう。

 翌年、町内に温泉宿泊施設「木地屋」がオープンし、その経営も三セクに任された。そのため一時は地元の雲海酒造に経営に加わってもらい、収益構造の改善に取り組んだ。

 赤字は少し持ち直したものの、今度は九州ならではの自然災害にさらされた。台風だ。

 2004年8月に九州を直撃した台風16号は全国で17人の犠牲者を出し、五ヶ瀬ハイランドスキー場でもゲレンデに向かう町道が土石流に呑まれるなどして近づけなくなった。復旧工事は冬までに間に合わず、このシーズンはやむなく休業した。

管理用道路があったはずだが(五ヶ瀬ハイランドスキー場撮影)

「工事は翌シーズンにも間に合いませんでした。が、たまたま自衛隊の仮設橋が近くにあったので、これを使わせてもらって仮復旧し、なんとか営業は再開させました」と小笠さんは話す。

 客はなかなか戻ってこなかった。

九州でスキーを愛する人々はどこにいってしまったのか?

 同じ九州の後発スキー場に流れたのである。大分県九重(ここのえ)町で1996年に開設された「九重(くじゅう)森林公園スキー場」だ。

「九重森林公園スキー場はちょうど入場者数が右肩上がりで伸びていた時でした。五ヶ瀬より福岡に近いので都市圏からのお客さんは九重に行っているのだろうなと思いました。アクセス面の課題は他にもありました。九重は道路のすぐ近くにスキー場があるのに、うちは国道から入ると、細くて急な町道をたどります。チェーンの装備などがなければ、国道近くの駐車場からシャトルバスでスキー場に上がってもらわなければならないのです」