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 被告人松永が、祥子に対し「病院に連れて行ったほうがいい。」と言ったことから、祥子は、被告人緒方の付添いで莉緒を病院に運び、手術してもらったが助からず、翌29日、莉緒は死亡した〉

 三つ子は2歳になったばかり。そんな小さな子供だけで留守番させていたことにも驚くが、緒方と祥子さんのやり取りも、いかにも取って付けたような言い回しである。国雄さんは言う。

「その後の姉の水死については自殺だったかもしれませんが、娘の死は密室でのことですからね。私はこちらについては事件ではなかったのかと、疑問に思っています」

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突然別府の海に飛び込んで…“自殺”時の状況とは

 祥子さんが別府湾で“自殺”したのは、その5カ月後のこと。〈被告人緒方は、××ビルに引っ越した平成5年11月ころ、莉緒の件で警察に調書を取られたりして心労もあったが、落ち込むこともなく明るく振る舞い、頑張っている様子であった。むしろ祥子の方が、莉緒の死からなかなか立ち直れずにいた〉(同冒頭陳述より)と、祥子さんが莉緒ちゃんの死で苦しんでいたことを強調し、自殺説に近づけるような流れになっている。そして祥子さんの自殺については、以下の説明がなされた。

〈被告人松永は、平成6年(94年)2月27日ころ、被告人緒方、長男及び祥子と別府に行き、同年3月31日まで××(原文実名)というラブホテルに連泊した。祥子は、同月31日午後4時30分ころ、被告人緒方、長男と共に、別府市役所に転入手続をするために行った。その帰り、祥子は××(車名)を運転してホテル駐車場に戻った後、突然走り出して別府の海に飛び込んで自殺した。(中略)

 被告人松永は、被告人緒方から祥子が逃げた旨の報告を聞き、ホテルの窓から警察の船やパトカー、救急車を見るなどしたことから、祥子が海に飛び込んで自殺したのであろうと判断し、祥子の××を被告人松永が運転して被告人緒方、長男と小倉に戻った〉

末松祥子さんが自殺した別府湾 ©小野一光

 国雄さんは当時を振り返る。

「遺体は親父が別府に引き取りに行きました。葬儀は自殺ということもあって、身内だけで行い、遺骨はいま納骨堂に入っています。姉が死んだ後、じつはそれまで姉が業者に転送電話の契約をしていて、それを自殺直後に誰かが解約していることがわかったんですね。なので、第三者が姉と一緒にいたのだろうとは思っていました。ただそれがこういうことだったとは、松永らが逮捕されるまではわかりませんでした」

 この転送電話とは、祥子さんが父親の行雄さんに対して、「今後なにかあるときは弁護士を通して欲しい」として伝えていた電話番号だと思われる。そこで電話に出た弁護士を名乗る男は松永であったと、02年になって、行雄さんは捜査員から説明を受けている。