「生活を退屈に感じて、夢を見ようとしたんじゃないでしょうか」
「姉は見合い結婚で、最初は気乗りしなかったようです。とはいえ向こうの実家に住み、子供も生まれていましたから、離婚とかそういうことは想像もしていませんでした。ただ、姉は普通の人でしたけど、やっぱり松永から、なにかうまいことを言われて、そのときの生活を退屈に感じて、夢を見ようとしたんじゃないでしょうか」
祥子さんが家を出たことの理由について、松永弁護団の冒頭陳述には以下のようにある。
〈祥子は、夫の母と折り合いが悪く、夫の母に何も言ってくれない夫A(原文実名)の態度にも不満を抱いていた。
被告人松永は、平成5年(93年)4月ころ、祥子から夫の母と折り合いが悪く家を出て夫と別居したいという悩みを聞き、力になってやることとし、祥子のために、広田由紀夫(仮名、監禁被害少女の父)の仲介で、北九州市小倉南区に「横代マンション」(仮名)を見つけ、祥子名義で賃貸借契約を締結した。祥子は同月29日ころ、3人の子供を連れて家出をし、同マンションに居住するようになった〉
そこで祥子さんは夫のAさんに対し、「離婚せんなら子供を道連れにして死ぬ」と言い、Aさんは自殺を思いとどまらせるために離婚を決意して、93年7月に協議離婚の届けを出している。国雄さんは言う。
「うちの親父と旦那さん(Aさん)は、姉から別府にいると聞いていたから、現地に一緒に探しに行ったりしてました」
だがそれは、居所を偽装するため、松永が祥子さんにつかせた嘘だった。祥子さんは北九州市に住んでいたが、父親や前夫への電話では「別府にいる」と話し、「3人の子供を養うのにカネがいる」と送金を依頼する際には、別府市内の郵便局を指定して、局留めで送るように伝えていたのである。
疑問の残る「密室での事故」
離婚の3カ月後である93年10月に、祥子さんが連れて出た三つ子の娘のうち、莉緒ちゃんが、「横代マンション」で死亡する。頭を強く打ったことによる急性硬膜下血腫とのことだった。この案件は密室での事故であることから、莉緒ちゃんの遺体は解剖に付され、現場にいた祥子さんと緒方のふたりが警察による事情聴取を受けている。繰り返しになるが、あくまでも松永の主張に基づく、松永弁護団による冒頭陳述では次のようにある。
〈(松永は)祥子、被告人緒方、(松永と緒方の)長男と共に大分に行き午後10時すぎころ「横代マンション」に帰宅した。同日、祥子の子供たちは「横代マンション」で留守番をしていた。被告人松永は、台所でビールを飲んでいると、同日午後11時ころ、祥子が、「莉緒がけいれんしちょうけんちょっと見て。」と呼びに来たので、奥6畳間に行くと、莉緒が上を向いて手足を震わせていた。被告人緒方はこれを見て、「さっき見たときは走り回りよった。」と言い、祥子は、「さっき吐いた。おなかがおかしいとやろうか。」、「あのコピー機から飛び降りたりするとよ。ちょっとあぶなかとやけん。頭とかもちょこちょこ打つよ。」と言った。