福岡県筑後地方出身の末松祥子さん(仮名、死亡時32)は、“金づる”を求めた松永太(逮捕時40)に誘惑されて、1993年4月に家を出ると、7月に夫と離婚する。しかし、10月に連れていた2歳の娘(莉緒ちゃん=仮名)が北九州市小倉南区のマンション内で“事故死”してしまう。さらに本人もその5カ月後の94年3月に、大分県別府市の海に入水して“自殺”した。
20年ぶりの訪問に応対してくれた祥子さんの弟
松永太と緒方純子(逮捕時40)が2002年3月に逮捕されたことで明らかになった、この母子2名が死亡した案件については、すでに発生から30年近い年月が経過している。
今回、私が訪ねたのは筑後地方にある祥子さんの実家だ。02年6月に彼女の父である末松行雄さん(仮名)を取材して以来、20年ぶりの訪問となる。
玄関先に姿を現したのは、祥子さんの弟の末松国雄さん(仮名)。私が20年前に行雄さんから話を聞いたことを伝え、しばらく立ち話をしていると、彼は自宅に招き入れてくれた。
祥子さんと国雄さんはふたり姉弟。聞けば母親は17年に亡くなっており、行雄さんも数カ月前から病気療養のため入院中だという。
「姉(祥子さん)は、県立の××高校を卒業して、福岡市内のビジネス専門学校に行きました。そこを出て、久留米市内の保険や不動産を扱う会社に就職。結婚したときはその会社を辞めて、瀬高町(みやま市)のレンタルビデオ店で働いてました」
なお、松永と緒方の福岡地裁小倉支部での裁判における、松永弁護団の冒頭陳述には、松永と祥子さんとの出会いについては以下のような説明がある。
〈被告人松永は、中学生当時に同級である末松祥子とかねてから顔見知りになっていたが、被告人松永が20歳のころ、日渡恵一(仮名、松永の経営する布団訪問販売会社「ワールド」元従業員)を通じて祥子と再会したのを契機に、同女と交際するようになり、祥子は、被告人松永の経営するワールドにも出入りするようになった〉
あくまでもこの内容は、松永の主張に基づいたものであることをお断りしておく。松永と祥子さんは同い年であるが、中学校は別の学校に通っている。そして20歳のときということは、祥子さんが福岡市内の専門学校か久留米市内の会社にいた時期ということになる。国雄さんもこの頃に、祥子さんが誰と付き合っていたということまでは記憶にないそうだ。また、松永という男の存在についても、02年に彼が逮捕されてから、警察が捜査にやってきたことで初めて知っている。