東京大学准教授の斎藤幸平さんと、イェール大学助教授の成田悠輔さんによる文藝春秋ウェビナーでの対談「日本はゲームのルールを変えられるか?」が、2022年11月27日に「文藝春秋 電子版」開催されました。その議論の一部をテキスト化した記事を公開します。
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資本主義は“脱成長の敵”なのか
成田 脱成長論が敵をしっかり定義できているかというと、怪しい気がするんですよ。いまの資本主義が経済や環境の問題を本当に悪化させているか考えてみると、事実ベースでは怪しくないでしょうか。
絶対的貧困のもとで生きている人の割合とかは世界で順調に減っているわけです。それから世界全体の所得格差、経済格差をみても、今世紀に入ってからなぜか急激に減り始めている。だから地球全体で考えてみると、経済格差や所得格差は縮小する方向に進んでいるように見える。
環境の問題を見ても、資本主義を象徴するような国、アメリカにしてもEUにしても、CO2の排出量とかは少しずつではあるけど、順調に減っています。
斎藤 本当に少しずつ、ですが。
成田 だから成長と格差緩和、あるいは成長と持続可能性はトレードオフではなく両立させることができるのではないか。そういう機運が高まってきたのが、今世紀に入ってからの世界ではないでしょうか。
そうすると、脱成長論の敵は、成長そのものや資本主義ではないことになる。成長という概念や資本主義をそのまま改良していくことで、脱成長論が達成したい目的が実現できるのではないかという気がするんです。この点について、どう思われますか?
斎藤 経済成長が飢餓や貧困や疫病のような問題を解決するために、必要なインフラや技術の開発を実現してきたのはたしかに間違いないと思います。依然として世界には10億人単位で基礎的なインフラを持たない人たちがいて、その人たちのためにも成長が必要なのは間違いないという側面はある。
だから、私は必ずしもありとあらゆる成長が悪だと言っているわけではありません。ただ、他方で今の先進国を中心に、これからもGDPで測られるようなかたちで経済成長を求めていくことが、地球環境や、私たち個人の幸福にとってよいと言えるでしょうか? 「イースタリンのパラドックス」のように、これまではそうだったかもしれないが、ある時期から相関が弱まってくることもありえます。