1ページ目から読む
3/4ページ目

 だからこそ、社会保障の行き詰まりが日本の国富を維持する上で障害になっていて、もはや高齢となって社会に富を生み出すことのできなくなった老人をどこまで社会が包摂し生かしておくかという根源の議論となります。

 本来、社会保障や情報法を見ている私のような人間からすれば、成田悠輔さんが過激なことを言ってでも伝えたいことはこの辺だろうとすぐに理解はできます。しかし、いかんせん、話が超絶デリケートな安楽死・尊厳死の問題や、社会保障改革にまで進んでしまうと、渡辺さんのように「成田悠輔氏の社会的な発言について報告し、見解を尋ねたい」とかいうキャンセルカルチャーそのものの行動を誘発してしまいます。

 当たり前ですが、堀江貴文さんとの対談でラフに「高齢者は集団自決すべき」と語ったぐらいの話で何かあるとは思いませんけれども、この問題はスティグマになって、今後の成田悠輔さんの日本国内での起用については引き続き物議を醸すでしょう。

ADVERTISEMENT

「なんだこれ……」なかには内容に疑問符がつくような記事も

 ここでちゃぶ台をひっくり返すわけではないのですが、成田悠輔さんは優秀な反面、自身が専門にしていると豪語しているはずの教育政策の分野において、かなり雑に教育データの利活用絡みの政策記事を書いています。

「政府の教育データ一元管理」即炎上の残念な実態
https://toyokeizai.net/articles/-/511452
第9回 デジタル化がもたらす恩恵
https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yasashii28/09.html

 なんだこれ……。成田悠輔さん、優秀な人なんじゃなかったの。プロフィールに教育政策に詳しいと書いてあるので読んでみると、いま日本政府だけじゃなく、世界的にデータと子どもの関係についてプライバシー権の議論になり、プラットフォーム事業者と政府・憲法の関係についても、議論が行われていることをすっ飛ばして社会実装すればいいじゃん的なことを書いている。この辺の話題は10年ぐらい前に中教審でも話題になった、周回遅れの議論なのでは?

©AFLO

 例えば、割と簡単に「データを自動で収集し、分析に基づいた教育を自動で実行できるようにするのです」と成田悠輔さんが論じているんですが、いま教育データの問題で重大なのは、データやエビデンス(根拠)に基づいた教育をしたいのに、実はまだ教育データの何をどう分析して、いかなるフィードバックをすれば子どもの成績が上がるのかという問題について、さしたる実証研究はできていないのです。ぶっちゃけ、成田さんが書くほど簡単な話じゃありません。