「道徳の授業って僕には気持ち悪い。一方的な価値観を押しつけることこそ不道徳なのではないか。道徳教育の気味の悪さを書いてみたかった」
『夏の水の半魚人』で三島賞を受賞するなど、小説家としても独自の世界観で異彩を放ってきた劇作家の前田司郎さん。最新刊所収の中篇「道徳の時間」では、「浣腸遊び」が流行る小学5年生のクラスを舞台に、子供同士や子供対教師の心理的駆け引きが絶妙な筆致で描かれる。
「『夏の水の半魚人』の主人公も小学5年生でした。
“大人子供”のこの年齢が僕は好きなんです。子供が成長して大人になると思われているけど本当にそうかな? 大きいか小さいかの違いくらいで、大人も子供も中身はたいして変わりはない気がします。意外とみんな子供。最近、小沢一郎さんも古市憲寿さんに激怒してたらしいですけど、大政治家がそんなことで怒っちゃうんだな。意外と小さいなとか。まあ、あれはパフォーマンスかもしれないけど。そういう怒ることのバカバカしさが着想の原点です。子供の頃、浣腸して怒られて泣きそうなほど深刻な問題になった記憶から物語が広がっていった」
前田さんは小説を書くにあたっては、常に“素人の筋肉”で勝負したいという。
「小説に専念している人が書く洗練された文章に憧れがあるけど、それを追い越そうとしても僕には難しい。舞台や映画など色々やっている僕は、小説専門の筋肉が弱い。そのぶん別の筋肉も発達しているはずだから、そんな身体で闘いたい」
その独自の方法論は公開中の脚本・監督の映画『ふきげんな過去』(小泉今日子、二階堂ふみ主演)でも十二分に活きている。
「僕は一般的な映画監督と比べて映画を観ている量がめちゃくちゃ少ない。映画の文法も身についていない。舞台を演出する時、俳優たちの中に1人だけ素人を混ぜて不安定化させたりするのですが、思わぬ効果が生まれます。だから映画でも僕のような素人が一流のプロである俳優やスタッフの中に1人混ざると、現場が不安定になって面白い気がします。平常時には見え辛いプロの技術が、嵐の中では眼に見えて発揮される。
僕は舞台も小説も映画の仕事もしていますが、根は同じだと思っています。ただ箸で食べるかスプーンで食べるかの違いみたいなものです。箸で食べるなら焼き魚、スプーンで食べるなら魚のスープという感じです。魚は魚ですよね」
5年2組では男子達が「浣腸遊び」に熱中している。ターゲットにされた女子は美しいが貧乏で服がイマイチ。生徒達の屈折した感情と嫉妬と羞恥、それを冷めた目で見つめる女教師――それぞれの思惑が交差する「道徳の時間」。孤高の園児の幼稚園生活を描く「園児の血」の2篇を収録。