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 そのとき、あの男は……なんと、女と温泉地へ行っていた。マリアが稼いでこられなくなったために家にカネはなく、タンスなどめぼしい家財道具を質に入れ旅費をつくって。2人のアパートはもうほとんど、がらんどう。もう、とことんの男である。私があきれているのに気づいたマリア。いたずらっぽくこちらを見る。

「なんでヤツが女と温泉行っていたか。このあと、聞いて驚くわよ」 

 おどけたように笑いながら語り続ける。

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 産後4か月、実家で赤ん坊と暮らしていたマリアに、失踪状態の田村から突然電話がかかってきた。どこへ行っているのと怒る暇も与えず、横暴亭主は一方的に言い放つ。「今すぐに来い」。女と何かあったのか——。

 言われるままに青函連絡船に乗り、日本海沿いを鉄道に揺られる生後4か月の赤ん坊と、20歳になったばかりの母。健気というより、不憫というほかない。

 着いた先は、加賀の国の温泉郷、山代温泉。高度成長期以降隆盛し、連なる観光バスが大型旅館に横付けされ、日々団体客を吸い込み続けた温泉町である。客は、社員旅行の企業戦士たち。大盛況の温泉場は男客ばかり。街中に、歓楽装置がちりばめられていた。

妻に隠していた男の正体

「そう、呼び出されていった先が、ストリップ小屋だったの」

 小屋に着くと、腹を血まみれにして包帯を巻いた女が立っている(!)。マリアの表現で言うと「2号さん」の姿だった(マリア自身はむろん1号にあたる。田村には3号、4号までいた)。

 久々に会った暴君は顔面蒼白で、「死ぬかもしれん」などと言っている。続けて、「俺がやる〈白黒〉にお前が出ろ」と訳のわからないことをわめいている。

 これは、〈白黒ショー〉のことを言っていたのだった。ストリップ興行にかつてあった一形態で、舞台上の男女がさまざまな体位で行為を見せる過激な見世物である。 ——このあたりのくだり、聞いていても唐突な話題が輻輳(ふくそう)して一瞬頭が混乱した。整理していこう。

田村が家を空けていたワケ

 田村は、ストリップの男性演者であったのだった。昭和40年代、15、6歳で舞台を踏んで以来、最初の妻と白黒ショーを行っていた彼は、離婚して、いっとき遠ざかり喫茶店のマスターに収まっていたが、マリアと再婚しようとする前後に、どうやら復帰していたらしい。

 白黒ショーは当初、客席の間に薄い布を張り、影絵のようにして交接のシルエット見せたことから名付けられたらしいが、この時期には、一切包み隠さず生身を見せ、行為も実際に行っていた。

写真はイメージです ©iStock.com

 ストリップ劇場の基本的レイアウトは、「本舞台」(ステージ) と、そこから客席を突っ切って伸びる「花道」、その先端に島のような円形の「盆」から成っている。白黒は、この「盆」で演ずる。小屋によってはこの部分が回転した。踊りはなく、交接の様子をいかに生々しく見せつけられるかが肝なのである。