戦後、高度成長期、バブル期、平成、そして令和——どの時代においても、欠かさず毎夜ネオンを灯し続けてきた「盛り場」。そんな盛り場の世界を生き抜いた人びとの人生を描いたのが、ノンフィクション作家のフリート横田氏だ。

 ここでは、これまで150か所以上の盛り場を訪れ、1000人以上の話を聞いてきた同氏の著書『盛り場で生きる 歓楽街の生存者たち』(毎日新聞出版)より一部を抜粋。昭和期から今に至るまでストリップ劇場で踊り続けている現役ベテランストリッパー、マリア(仮名)の半生を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

写真はイメージです ©iStock.com

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ふたたびスポットライトの下へ向かう

 1997年、働き通しの33歳の頃、知人に声をかけられた。「借金あるんでしょう? 返せるよ」。それが、ふたたびのストリップの接近だった。彼女の中でかつて一瞬閃いた思いが、一気にあふれでた。「1人ならやってもいいかな」。思わず口をついて出た。

 やります——。

「これで再デビュー。まあ、またすっかりだまされたね(笑)。だいぶ抜かれてた」

 話を持ち込んだ「マネージャー」の男は、何人もの踊り子を抱えていた。流しの1人プロダクションと言ったところだろうか。マリアは今度は劇場に所属せず、マネージャーによって各地の小屋へ派遣される形となる。このスタイルもよくみられた形態という。マリアは彼からギャランティをもらうわけだが、マージンをずいぶんと抜かれていた。

タッチ、天板ショーの過激さで集客

 船橋にあった「大宝」が、復帰第1弾の舞台。1人でスポットライトの下へ向かうとき、誰の指導があるわけでもなかった。他に踊るお姉さんたちを見て、好きだったポップスをかけ、1曲は踊り、2曲3曲と続くうち素肌を見せていく。こうして初めて1人で踊りきった。ただしこの頃の客は、踊りだけを見に来たわけではなかった。

「それで最初は、『タッチ』だけね。1週間たって、マネージャーに、『今度はてんいた』をやってって言われて」

「タッチ」とは、1ステージ中の決められた時間、客に上半身を触れさせること。「てんいた」とは、「天板ショー」といって、天狗(成人用玩具) を客が踊り子に対し使うことをいう。じゃんけんで勝った客がそれを行うことができた。