「忘れもしないよ。一番多いときで、1日70人やった」
幕間、マリアの部屋のドア前に並んだ男たちは、安上がりに快楽を得ようとする安っぽいコスパ意識だけでなく、次のような感覚もあったように思う。
踊り場であって踊り場でない、やってはならぬ場でやってはならぬことをする〈逸脱のスリル〉。ソープランドのように制度化された享楽のレールに己れの欲望を乗せず、専用のしつらえが整わない殺風景な小部屋で、許されぬことをせわしく済ます。脱線し、殺伐の渦に身を投じている感覚に、言い知れぬ喜びを感じて通ったのだろう。このばかばかしさ、正直、わからないではない。
欲望を持つこと、それを適切に引き受けることに罪はない
こうした〈逸脱〉は、盛り場の中で人から人へ口伝で密やかに広がり伝説化していく。歓楽の街を眺めるとき、伝説が興を添える。ほら、あの暗がりの一角のその奥に、もやもやとした曖昧な〈逸脱〉が隠れていそうだな——これが街に一種の不穏な深みと味わいの景色を作り出していたことも事実だ。昭和期のあちこちの都市には、ふんだんにその味が盛り込まれていた。
味わいが、それを作り出す人々の自由意思からでなく、なんとなくその道へ追われ、気づけば声をあげられず泣いた声の上に発生するものであったのなら、今、綺麗に消えてしまってよかったと、退屈な遵奉の景色が広がりつつあってよかったと、私は思う。
それでも一言付け加えたい。「色」が街の表面に露出していること自体がよからぬことだとは思わない。ただ見えなくしていく今の流れが正しいとも思わない。大人が自分の判断で、決められた場所で棲み分けて働いていけるやり方は、どうか残し、整備していってほしいと願っている。
欲望を持つこと、それを適切に引き受けること自体には、なんら罪はない。
消えゆく劇場は、暗部も道連れにした
2000年代に入って数年すると、ようやく「個室」に終わりの日が来た。当局が一斉摘発を行ったのだった。それは多くの都市で同時期に行われた横断的、大規模なもので、これで売上を作っていたA劇場は、すぐさま休業に追い込まれる。
「8か月、営業停止だって言われて。でも1回乗った(公演をした) 小屋はまた行けるから、休業中は呼んでくれる他の劇場に安くまわっていったのよ。自分でコースを切って」
コースを切るのは、通常は劇場が行い、マネージメント料を取っていたわけだが、マリアの所属したA劇場は、結局売上が戻らず廃業に追い込まれてしまった。彼女はこのときついに、フリーになった。