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認知症になり同じことを繰り返しながらまとわりつく父と離れたい私…60歳になった息子が感じた“コミュニケーションの本質”

2023/01/26

 認知症になった父との日々を描いたノンフィクション作家・髙橋秀実の新刊『おやじはニーチェ』より一部抜粋。同じことを内容を繰り返す父に対して湧き上がってきた思いは――(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆

同居はそろそろ限界、経済的に破綻してしまう…

――それじゃ、ウチに帰るからね。

 夕食後、いよいよ私は父に宣言した。同居はそろそろ限界だった。実家にいるとまったく仕事もできず、このままでは経済的にも破綻してしまう。「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」を契約したので、家には緊急電話が設置され、ヘルパーが毎朝安否確認に来て、食事を出したり掃除や洗濯もしてくれている。異常があればすぐに私の携帯電話に連絡をもらえるし、お願いすれば1日24時間、スタッフがいつでも実家に駆けつけてくれる。介護としては万全。私たち夫婦がいなくてもおそらく大丈夫だろう。

 父を放置するわけではなく、距離を置いて自立を促す。実家から私の自宅は車で40分ほどなので離れて見守るというべきか。認知症とはつまるところ「ひとり暮らしができない」という障害である。父はこれまでひとり暮らしの経験がまったくないので、「できない」のではなく「したことがない」だけかもしれない。もしかすると父なりに独居生活を営める可能性もあるわけで、そのあたりも見極めたい。そう自分に言い聞かせて、私は荷物をまとめて実家を出ることにしたのである。

©AFLO

ところが、父はわたしにまとわりついてきて…

「重いなあ、このカバン。何が入ってるんだ?」

 父はそう言って私のカバンを抱えた。

――いろいろね。仕事の資料とかね。

「そりゃ大変だ」

 カバンを抱えたまま玄関までついてくる父。「ありがとう」と受け取ろうとすると父は「いいよいいよ、俺が持っていくから」と言う。

「行くんだろ?」

――いや、だから俺はウチに帰るから。

「ウチって」

――自分のウチ。

「どこ?」

――だから俺のウチ。

 私は自分を指差した。

「だから行くんだろ?」

――だから俺は自分のウチに帰るの。

「だから一緒に行こうよ」

 埒の明かない「だから」の応酬。「だから」は接続詞というより固執を意味する言葉だったのだろうか。

――だから、俺は仕事しなきゃいけないんだよ。

「仕事ならしょうがないな」