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 世代的な特徴かもしれないが、父は「仕事」とさえ言えば、大抵のことは納得する。

「でもなんで今からなんだ? なんでこんな時間に?」

――そういう問題じゃなくて……。

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「仕事なんて、いつだってできる。どこだってできる。それで体を壊したら元も子もないだろう」

――そうなんだけどさ。もう行かないと。

「じゃ行こうよ」

 父はそう言ってカバンを抱きかかえたまま靴を履こうとした。父を制しカバンを取り返そうとすると、父が私の腕にしがみつく。振り払おうとしたのだが、転んでケガをさせてもいけないので、私は「あっそうだ」とつぶやいて居間に引き返し、「お茶でも飲もうか」と父を誘った。唐突な展開だが、父も私も直前のやりとりを忘失する習慣が身についており、私たちは自然に湯を沸かし、お茶をすすった。

©AFLO

「おいしい。なんでこんなにおいしいの?」

 父は歓声をあげ、私はカバンを見つめた。

 まとわりつく父。振り切りたい私。

私は介護の姿勢を間違えていたのではないだろうか

 振り返れば、私は20歳の時にこの家を出た。このまま両親に依存していると自分がダメになる。経済的にも自立しなければいけないと決意し、両親に「これ以上甘えるわけにはいかない」と宣言した。

 父は「甘えるとはなんだ!」と激怒し、その後しばらく口もきかなかった。親離れの家出だったわけだが、60歳を前にしてまるでその再現である。このたびはどちらが甘えているのかよくわからないのだが、実家に居ると実家全体が父のようで、父に覆い尽くされるような気がする。

 なぜ父はここまで私に依存するのか。いや、依存させているのは私であり、生活の自立を阻害しているのも私かもしれない。つまり認知症の原因は私ということで、私は介護の姿勢を間違えていたのではないだろうか。

 認知症介護の鉄則は「言うことを否定せずに話を合わせる」(鳥羽研二著『名医の図解 認知症の安心生活読本』主婦と生活社 2009年)とされており、私もそれに準じてきたつもりだが、冷静に省みると、私とのコミュニケーションに依存するあまり、ヨソの人と口をきかなくなっている。町内会で運営している喫茶店に出かけても、会話には一切加わらず、じっと私のほうを見つめ、まるで恋人のようにウインクしたりするのだ。